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シダマツペアが初五輪で銅メダル!「二人で持ち帰るものが獲得できてよかった」女子ダブルス日本2大会ぶり表彰台…パリ五輪

スポーツ報知 / 2024年8月3日 22時44分

◆パリ五輪 第9日 ▽バドミントン 女子ダブルス(3日、ポルトドラシャペル・アリーナ)

 女子ダブルスの3位決定戦が行われ、初出場の世界ランキング4位・志田千陽、松山奈未組(再春館製薬所)は、同12位のムラリタラン・ティナー、ペアルイ・タン組(マレーシア)を下し、銅メダルを手にした。同種目の日本勢では、12年ロンドン大会銀の藤井瑞希、垣岩令佳組、16年リオデジャネイロ大会金の高橋礼華、松友美佐紀組に続く3組目の表彰台。“お家芸”種目で2大会ぶりに日本勢がメダルを手にした。

 志田は試合後「皆さんの力あってのメダル」と関係者や、応援してくれた全ての人に感謝の思いを口にした。「昨日負けてしまって悔しかったんですけど、二人で持ち帰るものが獲得できて良かったです」。松山も「ホッとして、メダルを持って帰れることにホッとしたのと、今日、とにかく勝ちたかったので勝ててよかったです」と笑顔を見せた。

 第1ゲームは序盤から主導権を握り、5連続得点も飛び出すなど21-11で制した。勢いのまま第2ゲームも序盤からリードすると、21―11でストレート勝ちした。

 秋田出身の志田が高校1年、福岡出身の松山が中学3年時にジュニアの大会で初めてペアを組んだ。 ジュニア代表として出会った時、最初に話しかけたのは「小さい頃の私は『しゃべ子ちゃん』と呼ばれていたぐらいおしゃべり」という志田。互いの第一印象を志田は「人見知り」、松山は「お姉ちゃんと言うより友達」と振り返る。同年の国際大会で初めてペアで試合出場。15年の世界ジュニア選手権では銅メダル。性格は「真逆」というが、攻撃的なスタイルはぴったりだった。17年には1年早く再春館製薬所に入社した志田を追いかけるように松山も同社に入り、社会人でもペアを組むことになった。

 最初はトップ以外のB代表として海外転戦。松山は「最初は五輪が目標より夢としか見られなかった。とにかく目の前の試合を必死にやって、結果を残すことを考えてやっていました」と振り返る。

 志田の同期の山口茜がトップのA代表で活躍する姿に刺激されながら成長し、20年からはA代表に入った。苦難を経て、世界ランキング4位で臨んだ初の夢舞台。五輪と同じ会場で3月に行われたフランス・オープンは、決勝で同1位の賈一凡、陳清晨組(中国)に1―2で逆転負け。その中でも志田は「シダマツのスピードのあるプレーは通用すると感じた」と手応えをつかんだ。東京五輪後から台頭したエースペア。低い弾道のショットで前衛と後衛がくるくると回るように展開の速い攻撃で圧倒した。

 劉聖書、譚寧(中国)に0―2で敗れた準決勝の敗戦後には、志田が「ほしかったメダル。今日のリベンジだと思ってやる」と言えば、松山も「気持ちのぶつかり合いで負けない」と話し、メダル獲得へ闘志を燃やして臨んでいた。

 ◆志田 千陽(しだ・ちはる)1997年4月29日、秋田・八郎潟町出身。27歳。小1で競技を始め、青森山田中、高で女子複日本一を経験。16年に再春館製薬所入り。山口茜は同期。特技はバレエ。趣味は乃木坂46。5月に卒業した山下美月(25)が推し。東京ドームでの卒業コンサートにも駆けつけた。名前の由来は「千の太陽のように明るく」

 ◆松山 奈未(まつやま・なみ)1998年6月28日、福岡・北九州市出身。26歳。九州国際大付中、高出身。高校3年時の16年に保原彩夏(現ヨネックス)と組み世界ジュニア優勝。17年に再春館製薬所入り。20年にトップの日本A代表入り。21年11月にインドネシアマスターズとインドネシアオープンで連続優勝。同12月のワールドツアーファイナルズで準優勝。22年の全英オープンを初制覇。趣味はワンピースの銅像巡り。

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