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3年ぶりに帰ってきた司令塔・町田瑠唯が決勝トーナメント導く バスケ女子4日・大一番のベルギー戦

スポーツ報知 / 2024年8月4日 11時0分

3年ぶりに代表復帰した町田瑠唯

 2021年東京五輪で史上初の銀メダルを獲得した世界ランク9位のバスケットボール女子日本代表は4日、1次リーグC組最終戦で同6位のベルギーと対戦する。現在2連敗の日本は、8チームによる決勝トーナメント進出には勝ちが必須の条件。強豪との大一番へ前回五輪アシスト女王で、約3年ぶりに代表に帰ってきた司令塔・町田瑠唯(31)=富士通=が、突破への道を切り開く。

 幼なじみの一言で、運命が変わった。町田は兄の影響で野球が大好きだった。

 「マラソン大会で1位になったらスパイク買って」。小1の時、両親と約束を交わした。結果は優勝。母は約束通りスパイクを購入。ところが小2になると、町田はバスケ部にいた。

 後に札幌山の手高でともに3冠を成し遂げる高田汐織さんに「バスケやらない?」と勧誘され「入る」と返事。父の茂典さんはその日にスポーツ店へと走り、数万円かけてウェアからシューズまで一式をそろえた。バスケ人生が始まった。

 21年東京五輪では大会記録の1試合18アシストをマークし、アシスト女王に。大会ベスト5にも選出された。見るものを魅了し、仲間の力を最大限に引き出すパスセンスは、唯一無二。競技を始めた頃から「シュートよりパスだった」と母のルミさん。遊び感覚でノールックパスなど高度な技術を練習していた。小学生の高学年時にはバスケットボールをゴール下から20メートル以上先のゴール下まで飛ばした。野球で鍛え上げた強肩は、今に生きている。

 「ドリブルとパスなくして、こういう世界にはいられない」と父は言う。家で毎日ドリブルの練習をし、利き手の右で100回つけば、左は300回。テレビのアニメを見ながらでもボールをつつき、そうやって練習をしているうちに自然と視野を上げてボールを操る力が身についた。

 チームで最も小柄な162センチだ。コートを離れると、同世代と変わらぬ姿だが、バスケットボールを手にした町田は、誰にも止められない。小1で102センチ、高校入学時は153センチで38キロしかなかった。寮生活だった高校3年間で苦心したのは食事。カレーが出た日は限界まで2~3杯。3年間で10キロ増やした。壁にぶつかっても、バスケ人生で「やめたいって言ったことは全くない」とルミさん。小柄を言い訳にせず、強くなるために立ち向かった。

 幼少期は、1つ上の姉・舞唯さんが泣いている姿を見て泣いていた。5歳上の兄・茂幸さんとはK―1ごっこや、五輪を観戦しながらレスリング対決。スポーツが大好きだった。父は「瑠唯が五輪に出るなんて」。小さい頃の姿からは想像していなかった。WNBA挑戦や度重ねるけがで3年間、代表から遠ざかったが、日の丸への思いは心の中で激しく燃えていた。小さな日本の司令塔は大一番に戻ってきた。(小林 玲花)

 ◆バスケ女子日本代表の8強入り 1次リーグは12チームが3組に分かれて実施。各組上位2チームと各組3位から上位2チーム(〈1〉得失点差〈2〉総得点〈3〉世界ランク)が8強に進む。日本はC組で1試合を残し、現在2敗で4位。最後は同じ連敗中のベルギー戦のため、勝たなければ組3位には入れない。得失点差はマイナス37と厳しい状況。他国の状況にもよるが、できるだけ点差をつけて勝てば、突破の可能性が高まる。

 ◆町田 瑠唯(まちだ・るい)1993年3月8日、北海道旭川市生まれ。31歳。小学2年から競技を始める。札幌山の手高3年時に全国高校3冠。2011年にWリーグの富士通に入団し、23~24年シーズン優勝。日本代表では16年リオ五輪8強、21年東京五輪で銀メダルを獲得。準決勝のフランス戦では、五輪最多18アシストをマークし、国際連盟による五輪ベスト5に日本から唯一選出された。家族は両親と兄、姉。162センチ。

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