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フェンシング 男子フルーレ、団体初の金メダル! 日本剣士のメダルラッシュが有終の美 メダル5個は国別2位タイの快挙…パリ五輪

スポーツ報知 / 2024年8月5日 4時45分

金メダルを獲得した日本(カメラ・小林 泰斗)

◆パリ五輪 第10日 ▽フェンシング(4日、グランパレ)

 フェンシングの男子フルーレ団体決勝が行われ、日本(敷根崇裕、飯村一輝、松山恭助、控え=永野雄大)がイタリアを45―36で下して優勝。12年ロンドン五輪2位以来のメダルは、最も輝く史上初の金メダル。日本は今大会メダル5個目で、国別ではフェンシングの母国・フランスに次ぐ2位の快挙を成し遂げた。

 第1ゲームは敷根が登場。最初にポイントを奪い2点をリードした。第2ゲームでも飯村がリードを3点に広げたが第3ゲームで1点差とされ、第4ゲーム途中で15―16と逆転された。第6ゲームで日本は再逆転。第7ゲームは熱戦となり松山が1ポイントをリードして第8ゲームに突入した。今大会初出場の永野が5連続ポイントでリードを広げリードを6点に広げ圧倒的優位を築いた。第9試合は飯村がアンカーを務め、勝利を決めた。勝利の瞬間、マスクを取りピストの上で両手を広げ、仲間と抱き合った。

 日本男子フルーレが、ついに重い扉をこじあけた。08年に太田雄貴氏が個人で銀、そして12年ロンドンは団体で銀。頂点に挑み敗れてきた戦いに、ついに日本が勝った。過去優勝7度のイタリアを破り、フルーレ史上初めて金メダルを獲得。昨年の世界選手権を初めて制し、世界ランク1位で乗り込んだパリで、その強さを見せつけた。

 圧巻だった。準々決勝はカナダに45―26で快勝すると、迎えた準決勝の相手は、21年東京五輪王者のフランス。ピストの左右から、地元チームへ地鳴りのような声援が相手チームにおくられる中、日本は敷根、飯村、松山がかかんに挑んだ。序盤からリードして優位に進めると、主将の松山は1ゲームもマイナスで終えない安定感を発揮。45―37で圧勝し、3大会ぶりのメダルを確定させた。

 前回東京五輪は準決勝でフランス、3位決定戦でアメリカに敗れて4位。五輪後、東京大会で日本を下して優勝したフランス代表のエルワン・ルペシュー氏をコーチに招へいし、強化を図ってきた。松山は言う。「彼が何か特別なことをやって金メダルを取ったのかと思ったけど、細かい所に全力で集中して、高い強度で練習していた」。学んだことは、常に自分の全力に集中すること。メンバーは東京の松山、敷根、永野に加え、新進気鋭の20歳、飯村一輝を加えて盤石。飯村は今大会個人で4位と、チームに勢いをもたらした。

 今大会の最終種目を終え、日本のメダルは5個(男子エペ個人・加納虹輝=金、男子エペ団体=銀、女子フルーレ団体=銅、女子サーブル団体=銅)に到達。団体は出場した4種目全てで表彰台に乗り、メダル5個はフランスに次ぐ2位タイとなった。男子フルーレの“お家芸”復活にとどまらず、フェンシング大国に名乗りを上げた日本。花の都で、日本剣士が躍動した。

 ◇敷根 崇裕(しきね・たかひろ)1997年12月7日、大分市生まれ。東京・東亜学園高、法大を経てネクサス所属。21年東京五輪ではフルーレ個人で4位。団体フルーレでは4位。パリ五輪フルーレ個人は2回戦敗退。184センチ、68キロ。

 ◇飯村 一輝(いいむら・かずき)2003年12月27日、京都府生まれ。五輪銀メダリストの太田雄貴を指導した父・栄彦氏の元、競技を始める。龍谷大平安高を経て慶大在学中。23年世界選手権では男子フルーレ団体優勝。パリ五輪は個人フルーレで4位。169センチ、65キロ。

 ◇松山 恭助(まつやま・きょうすけ)1996年12月19日、東京・台東区生まれ。東亜学園、早大を経てJTB所属。正確な技術、落ち着いた試合運びが特徴。21年東京五輪では主将として臨むもフルーレ個人3回戦、団体が4位。180センチ、74キロ。

 ◇永野 雄大(ながの・ゆうだい)1998年10月15日、水戸市生まれ。東京。帝京高、中大を経てネクサス所属。21年東京五輪は男子フルーレ団体で4位。父の義秀氏はバルセロナ五輪フルーレ個人代表。172センチ、78キロ。

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