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バレー男子日本、イタリアに大逆転で敗れ8強で散る 2セット連取、マッチP握りながら…高橋藍、涙 52年ぶり金の夢破れる

スポーツ報知 / 2024年8月5日 22時40分

試合後、西田にハグされ、感極まった表情の高橋藍(カメラ・岩田 大補)

◆パリ五輪 第11日 ▽バレーボール男子準々決勝 日本2―3イタリア(5日、パリ南アリーナ) 

 決勝トーナメント初戦となる準々決勝が行われ、日本はイタリアにフルセットで敗れ、2大会連続で8強で敗退となった。目標に掲げてきた1972年ミュンヘン大会以来、52年ぶりの金メダルの夢は破れた。試合後、主将の石川祐希は「僕が最後に一本決められずにこういう結果に。非常に責任を感じている」と振り返った。また、イタリア選手と抱き合った高橋藍は、涙を見せた。

 フルセットの死闘となった。先発は、高橋藍、石川祐希、西田有志、高橋健太郎、関田誠大、山内晶大。第1セットは西田がスパイクを決め、サービスエースを奪い、観客をあおるパフォーマンスも見せ、会場を盛り上げた。主将・石川の気迫のこもったプレーなどで25―20で先取。

 第2セットは6―6から西田が技ありの一打で盛り上げ、21―23から石川、西田が連続で決めて23―23と追いついた。リベロ・山本智大の体を張ったレシーブに応えるように石川がレフトから強烈なスパイクを決め、最後も石川がレフトからスパイクを決めて逆転で連取した。

 第3セットは、西田が左足を負傷し、治療を受ける場面もあったが、笑顔でコートに戻りプレーを続けた。20―20と追いつかれるも、石川のバックアタックで21―20。21―21からは藍がレフトからスパイクを決めた。続いて石川もレフトから強烈な一打。24点目も石川が奪った。だが、イタリアも負けじと24―24のジュースに。イタリアが意地を見せ、25―27と落とした。

 第4セットは石川、西田、藍が得点を重ねるも19―20とイタリアが先に20点に到達。そこから日本も藍のスパイクなどで追い上げ21―20に。だが、イタリアが3連億得点で21―23に。日本もそこから石川がスパイクを決めるなど24―24で2S連続ジュースに。だが、イタリアがそこから2連続得点で26―24でセットカウントは2―2に。

 運命の最終セット。日本は先発を組み替え、高橋健太郎に代わり、小野寺太志が入った。石川祐希、西田有志、関田誠大、山内晶大、小野寺が先発。石川の強烈なスパイクから試合が始まった。1―1からは会場内に「ニッポンコール」が響き渡った。互いに4強入りをかけて譲らない展開が続き、3―4から日本が藍や西田のスパイクで3連続得点。6―4としてイタリアがタイムアウトを要求した。その後も互いに熱戦を繰り広げ、8―8とした。

 石川のライトからのスパイクが決まり、先に日本が10点に到達。イタリアも反撃を見せ、11―10とした。その後も死闘が繰り広げられ、西田がスパイクを2本決め、13―13。だが、そこから藍がスパイクをミスして13―14に。

 だが、石川がレフトからスパイクで14―14の3S連続のジュースに。再び石川の強烈なスパイクで日本がマッチポイント。15―15と追いつかれ、そこからイタリアに連続得点を許し、15―17で終戦した。

 日本は第3セットで24―21とマッチポイント奪いながら、まさかの大逆転負け。4位だった1976年モントリオール大会以来、48年ぶりの五輪4強入りという快挙達成はならなかった。 

 日本は昨年7月のネーションズリーグ(NL)3位決定戦では3―2でイタリアを破った。22年世界選手権覇者の強豪を倒しての主要国際大会では46年ぶりの表彰台となる銅メダルを獲得。チームは勢いづいた。昨秋のパリ五輪予選では16年ぶりとなる自力での出場権を獲得。五輪前のNLでは初の銀メダルをつかみ、弾みをつけた。パリ大会は前回東京の8強を超える、52年ぶりの五輪の頂点を目指すと決意してきた。 

 1次リーグ(L)では、1勝2敗と苦しんだ。最終戦の米国戦で先に2セットを落とした後、第3セットを25―18で死守したことで、C組3位で2大会連続8強が決まった。そのセットでは、大黒柱の石川祐希主将(ペルージャ)がパスの安定感に欠いたため、ベンチに下げられた。主将は「まずは最低限。ここからは負けたら終わり。しっかりと勝ちきる準備をして臨みたい」と決勝トーナメントに向け、気合を入れ直していた。 

 強豪のフランスやポーランド代表を導いたフィリップ・ブラン監督が2017年に日本代表のコーチに就任した。21年東京五輪で29年ぶりの8強入りを果たし、五輪後に監督を引き受け、日本代表では2人目の外国人の監督が誕生した。若手有望の高橋藍(らん)や甲斐優斗(専大)らをイタリアやフランスの海外挑戦を勧めるなど、さまざまなアプローチで強化を図ってきた。チーム内の会話は全て英語。最初は話せなかった選手もこの3年で勉強し、ブラン監督の指導を理解し、体現できるようになった。 日本にきて8年。ブラン監督は母国・フランス開催の五輪を「集大成」に据えてきた。五輪後は韓国のクラブチームで指揮を執ることは決まっている。

 指揮官は21年に石川を主将に指名した。石川とはイタリアでプレーしている時も逐一連絡を取り合い、信頼してきた。「どうすればスタッフが選手に考えを伝えられるか。どういうコミュケーションを取れば選手とよりよい状況をつくれるか相談する。チーム内の方向性を決める上で、どうすればよりチームに浸透できるか聞いている」と強い絆を築いてきた。

 52年ぶりの頂点には届かなかったが、ひとつ日本のバレーボールの歴史は変わった。 

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