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「私は骨折した」技を即座に習得 母が明かす草木ひなのの才能 現地へ応援に行かなかった理由は…パリ五輪

スポーツ報知 / 2024年8月7日 6時30分

決勝2回目のランで失敗した草木ひなの(カメラ・小林 泰斗)

◆パリ五輪 第12日 ▽スケートボード女子パーク決勝(6日、コンコルド広場)

 スケートボード女子パークの草木ひなの(16)=スターツ=は決勝で8位だった。競技を始めたのは、元々スケボーを趣味にしていた母・ゆりさん(48)がきっかけ。草木の幼い頃からの高い身体能力やスケボーの才能、世界舞台で活躍する我が子を心身共に支え続る母の思いを語った。

* * *

 数々の習い事で、高い身体能力を発揮してきた。ゆりさんは「水泳は幼稚園生で25メートル泳いでいましたし、ダンスに行くと初日に覚えてきたのがきれいな側転。そこから本人のスイッチがダンスではない方に入り『次はバク転がやりたい』とか言い出したりしていました」。当時はスーパーで買い物中、いきなりバク転を披露することもあったというおてんば娘。少々母を困らせた。

 サッカー、体操などにも触れたが、ドはまりしたのはスケボー。小学2年時、スケボーが趣味だったゆりさんにつれられ、つくば市内のスケボーパーク「AXIS」に訪れた。負けず嫌いで、初めは「なんでお母さんができるのに、私はできないの」とスケボーは嫌い。しかし才能は確実だった。「すぐにドロップ(板を端にかけて滑り降りる動き)ができたんです。私はそれで骨折したことがあるので怖い動き」。パークの大人たちに褒められていく中で、スケボーがいつの間にか好きになっていた。

 2人ならではの距離感だ。競技歴わずか4年で21、22年日本選手権優勝。23年世界選手権(ドバイ)で4位に食い込み一気に話題を集めた。実はゆりさんは、草木の競技を一切見ない。日本選手権の練習中、ゆりさんが見ているときだけ調子が上がらなかったことがきっかけで心に決めたという。「ドバイの時はたまたまミスした滑りを見てしまい『世界は厳しいよね。次頑張ろうね』とラインしたら『何言っているの?予選通ったよ』って。そんなこともありました」と笑った。

 パークへの送り迎えや食事管理など徹底的にサポート。今年1月から指導を受けるプロスケーター・冨川蒼太コーチ(21)を北海道から呼び寄せたのもゆりさんだ。草木は「本当にありがたいです。『勉強しろ』とはグチグチ言われますがスケボーを続けられているのはお母さんのおかげだと思っています」と照れくさそうに感謝を述べた。パリ五輪も現地にはいかず「家でお掃除でもしています」とゆりさん。メダルには届かなかったが、攻めの姿勢で観客を沸かせた草木。自慢の娘が笑顔で帰国する姿を楽しみに待っている。(手島 莉子)

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