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現役慶大女子初の五輪メダル はい上がって「銅」尾崎野乃香「これを認めて4年後、金メダルを取りたい」…パリ五輪

スポーツ報知 / 2024年8月7日 23時0分

銅メダルを獲得し、キスをする尾崎(カメラ・岩田 大補)

◆パリ五輪 第12日 ▽レスリング(6日、シャンドマルス・アリーナ)

 レスリング女子68キロ級で尾崎野乃香(21)=慶大=が銅メダルを獲得した。5日の準々決勝で敗れたが、6日の敗者復活戦を勝ち上がり、3位決定戦でブレッシング・オボルドゥドゥ(ナイジェリア)を3―0で下した。在学中の慶大女子では、全競技を通じて初の五輪メダリストとなった。

 3位決定戦を堂々と制すると、尾崎は満面の笑みで両手を突き上げた。表彰式。授与された銅メダルをいとおしそうに見つめ、2度キスをすると、体を震わせながら大粒の涙を流した。「金メダリストになるのは4年後にお預けになったけど、切り替えてできた自分を褒めたい。本当に最高の気持ち」との言葉に偽りはなかった。

 金メダルの夢は5日の準々決勝で敗れて絶たれた。その悔しさから救ってくれたのは、父・佳史さんの言葉だった。「壁にぶち当たって、そこからはい上がれる人と、はい上がれない人がいる。それをはい上がってきたのが野乃香だから」―。本来の62キロ級で逃し、68キロ級で巡ってきた好機をつかんだ五輪代表で「今、私はどん底にいるんだ。ここから銅メダルを取ったら、相当すごいんだ」と奮起した。

 何度も壁を越えてきた競技人生だった。5歳の時に浜口京子が銅メダルを獲得した08年北京五輪を見て「レスリングって何?」と興味を持ち、始めた。成城学園小・中と全国大会を制し、誘われたJOCエリートアカデミーで腕を磨いた。大学進学時、慶大受験を希望。人生の幅を広げたかった。周囲には「慶応で勉強しながら五輪は絶対無理だ。五輪を諦めることになるぞ」と反対されたが、「私ならできる」と意志を貫いた。

 慶大レスリング部は伝統はあったが、同じレベルで練習できる選手はいなかった。常に東洋大や神奈川大、山梨・韮崎工などに出稽古で受け入れてもらう生活。拠点がない困難も「私には合っている」と悲観することはなかった。階級変更による増量も「ムキムキになっていくことがうれしい。キン肉マンみたいになりたい」と前向きに取り組んだ。「いばらの道だった。だからこそ金メダルを取りたかったけど、私の今の実力はここ。これを認めて4年後、金メダルを取りたい」。どんな困難も、尾崎は必ず乗り越えていく。(林 直史)

 【金城梨紗子Point】 尾崎選手が準々決勝で敗れたのは、階級を上げた影響より、外国の選手たちに研究されたことが大きかった。相手は、尾崎選手の得意の攻撃パターンを調べ、作戦を練って向かってきていました。しかし、敗者復活戦、3位決定戦をよく勝ち切ったと思います。負けたあとに試合をするのは予想以上に不思議な感覚で、難しいもの。尾崎選手は、うまく気持ちを切り替え、得意のスピードのあるタックルを生かした試合を展開しました。

 ◆現役慶大生の五輪メダル 1932年ロサンゼルス大会でホッケーの3選手と競泳男子100メートル自由形に出場した河石達吾が銀メダル。河石はロス大会の馬術金メダルの西竹一とともに硫黄島の戦いで戦死した。36年ベルリン大会では寺田登が競泳男子1500メートル自由形で慶大初の金メダルを獲得。56年メルボルン大会では、体操の小野喬が鉄棒の金メダルを含む5つのメダルを獲得。直近では立石諒が2012年ロンドン大会の競泳男子200メートル平泳ぎで銅メダル。卒業生では今大会のフェンシング女子フルーレ団体の宮脇花綸が銅メダルを獲得しているが、現役女子慶大生がメダルを獲得するのは尾崎が初めて。

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