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83年にセ記録76盗塁「地獄の伊東」が生んだ「青い稲妻」愛称のリードオフマン

スポーツ報知 / 2024年8月8日 6時5分

 創立90周年を迎えた巨人。巨人での出場試合が多い野手、投手を中心に記録にも記憶にも残る歴代の「偉人」を紹介します。第71回は松本匡史。

 * * * *

 「青い稲妻」とは松本匡史に付けられた愛称だ。

 1954年8月8日、兵庫県生まれ。報徳学園2年の71年、左翼手で春夏甲子園に出場。早大では内野手となり、リードオフマンだったが、4年時の76年、右肩を脱臼する。同年、ドラフト5位で巨人に入団。しかし79年には脱臼の手術を行った。

 外野転向とスイッチヒッターに挑戦することになり、同年秋の伊東キャンプに参加。午前8時から午後5時までの練習が「地獄のキャンプ」と言われる理由だが、松本は他の選手が集合する前の午前6時から、すでに打撃練習を行っていたという。「伊東キャンプは、松本のためのものだった…」と、参加した選手たちが後になって口をそろえている。

 80年のシーズン中盤から柴田勲の後釜として1番に入り、82年からは定着。規定打席に到達し、61盗塁でタイトルを獲得。翌83年はセ記録となる76盗塁で2年連続の勲章。赤い手袋で人気を得た柴田にあやかり、青い手袋を使った松本は「青い稲妻」と呼ばれた。81~83年はゴールデン・グラブ賞を受賞している。

 87年、33歳で引退後は、89~94、01年にコーチ、95~97年は2軍監督。スカウトも務めた。

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