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【甲子園】岡山学芸館・丹羽知則の憧れ…けがを負って聖地のマウンドに立つ姿に「あの時の鳥肌は忘れられない」

スポーツ報知 / 2024年8月10日 22時54分

最終回を3人で締めた岡山学芸館・丹羽(カメラ・谷口 健二)

◆第106回全国高校野球選手権大会第4日 ▽1回戦 岡山学芸館1―0聖カタリナ学園(10日・甲子園)

 岡山学芸館は虎の子の1点を守り切り、19年以来の夏初戦突破を決めた。9回に登板した丹羽知則(3年)は3人で締めて“完封リレー”を完成させた。

 5回1死満塁から2番・高安凰真遊撃手(2年)の中犠飛で先制に成功。リードわずか1点の9回に登板した丹羽は先頭打者に内野安打を許したが「間合いを変えた」と得意のけん制球で1つ目のアウトを取ると、後続を三振と二ゴロに斬って取った。

 知則は3人兄弟の末っ子。5学年上の長兄・淳平さんと4学年上の次兄・勇介さんがいる。なかでも淳平さんは19年夏に同校で甲子園出場を果たし、2回戦・広島商戦では先発投手として登板。しかし初回に打球が左頬を直撃した。左顔面骨骨折で救急搬送。知則は「ボールがそのまま頬に入ったのかと思うくらいに腫れていた」と兄の様子を振り返る。想像を絶するほど痛々しい姿だったが、6日後の作新学院戦では、先発のマウンドに淳平さんの姿があった。「あの時の鳥肌は忘れられない」。当時中学1年生だった知則は、そんな憧れの兄の背中を追うように迷わず岡山学芸館に進学した。

 寮に入り、淳平さんに夜中に電話で投手としての教えを請うことも、携帯の待ち受け画面を淳平さんにしたこともあったという。「僕のことスーパースターか何かだと思っていたのかも」と淳平さんも照れ笑いを浮かべながら思い返した。今夏の岡山大会も毎試合、淳平さんの甲子園出場記念タオルをポケットに入れてウォーミングアップを行い、この日先発した沖田幸大(3年)との二枚看板を確立。ノーシードから淳平さんが出場した19年以来の夏聖地をつかみとった。

 あの日、11球でマウンドを降りた淳平さんの心を晴らすように、12球で3つのアウトを取った知則。兄が立てなかった勝利の瞬間のマウンドに「最高の気分を味わえた」と喜びに満ちた表情だった。

 「甲子園で先発するのは夢ですが、自分は任されたイニングを全うするだけ」と締めた右腕。兄が残した同校最高成績の3回戦超え、そして岡山県勢初の夏の甲子園優勝へ、フル回転でチームを引っ張る。

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