1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. スポーツ総合

飛び込み史上初、玉井陸斗の銀メダルへの道のり 名将・馬淵コーチが最初に「生年月日を確認」した理由…パリ五輪

スポーツ報知 / 2024年8月11日 7時13分

銀メダルを獲得し馬淵崇英(右)コーチに報告する玉井陸斗(中、カメラ・岩田 大補)

◆パリ五輪 第16日 ▽飛び込み(10日、アクアティクスセンター)

 男子高飛び込みで、17歳の玉井陸斗(JSS宝塚)が快挙を達成した。決勝で507・65点をマークして2位。日本飛び込み史上初めて、五輪メダリストが誕生した。玉井を偉業に導いたJSS宝塚の馬淵崇英コーチ(60)も「いや、もう、言葉では…。陸斗ありがとう。お疲れさま、と」と万感。「第2の陸斗はいない」と才能にほれ込み、二人三脚で歩んできた英才教育が、結実した瞬間だった。

* * * * *

 小学1年の頃、馬淵かの子コーチ(86)に誘われてJSS宝塚のジュニアチームに入った玉井。当時、同クラブで五輪6度出場の寺内健らトップチームを指導していた崇英コーチは、玉井の体のバランスや目つきに衝撃を受けた。「私が求めた、男子で勝負できる選手が出てきたなと。この子は絶対に逃さない。寺内を超える選手が、20年ぶりに出てきたと」。すぐに、五輪メダリストに育てるためのロードマップを敷いた。

 馬淵コーチはまず、名簿で玉井の生年月日を確認。21年東京五輪を、出場年齢制限に引っかからない13歳で迎える事を把握した。「やった、ラッキー」と心の中でガッツポーズ。そして「東京に出て、意識を高めて(当時)4年後のパリで勝負」との青写真を描いた。王国・中国勢に劣らない潜在能力。基礎ができた小学校高学年からトップチームに引きあげ、「地獄」という冬場の上海合宿にも参加させた。1日3部、8時間は普通という練習を最長3か月課し、12歳での日本室内選手権(19年)最年少Vにつなげた。

 馬淵コーチいわく、まだ五輪を明確に見据えていない時期の詰め込みが、重要な要素。「自分が何をやっているか分からないうちに、(飛び込みが)出来上がっていないとダメ。分かってからでは遅い」。年齢で問題ない事が分かれば、後は五輪に出る実力を備えさせるのみ。猛練習で、14歳の初五輪に導いた。「東京に間に合わなかったら、違うステージ、違うスタートだった」と馬淵コーチ。玉井は一度五輪を経験したことで独特の空気感を学び、「ここで戦いたい」という気持ちを抱いた。2度目のパリは勝負。22年の世界選手権で初めて銀メダルを獲得するなど、確かな実績と自信を身につけていった。

 馬淵コーチは言う。「あの子の運が強いのは、ここに出てきたと言うこと」。設備面で必ずしも整ってはいないが、寺内氏ら五輪選手を身近に、そして馬淵コーチを含めた日本トップの練習環境があった。そこに生まれ持った体幹の強さや、過酷な練習にも耐えうる精神力。寺内氏が言う「努力ができる天才」が、花開く場所で才能の種がまかれた。

 夢中で先輩たちの背中を追い、そしてたどり着いた日本初の五輪の表彰台。今大会は、五輪2連覇の曹縁(中国)と4本目まで僅差で争った。17歳。4年後は、円熟味も増したロサンゼルス五輪を迎える。玉井は「金メダルを取りたいです。いや、取ります!」と力強く宣言。馬淵コーチも「陸斗の演技で、世界を魅了したい。中国選手以上のきれいさ、迫力を課題として、次の目標に頑張っていきたい」と語った。可能性は無限大。初の銀メダルは、ロスでの金へのステップでもある。(大谷 翔太)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください