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森祇晶さん「上司恵まれた」感謝尽きない水原さん川上さん…連続インタビュー「G九十年かく語りき」

スポーツ報知 / 2024年8月20日 5時0分

巨人時代の秘話を語った森祇晶さん

 巨人球団創設90周年記念の連続インタビュー「G九十年かく語りき」の第8回は森祇晶さん(87)の登場だ。捕手として「V9の頭脳」と呼ばれ、巨人の強さを支えた洗練されたチームプレーの要でもあった。水原茂、川上哲治という2人の大監督から教えを受け、のちに西武でも黄金期を築き上げた知将が、秘話とともに喜怒哀楽を語った。(取材・構成=湯浅 佳典、太田 倫)

 20年間の現役生活を振り返ったとき、まず頭に浮かぶことがある。僕は本当にいい上司に恵まれた、と。

 現役としてお世話になった上司―つまり監督は、水原茂さん、川上哲治さんの2人だけだった。最初にチャンスを与えてくれたのは、入団時の監督だった水原さんだ。僕のプロ野球選手としてのキャリアが始まったのは1955年。当時は強肩強打で俊足の名捕手・藤尾茂さんがレギュラーだった。ただ、これからの捕手にはインサイドワークと守備力が必要だと、水原さんはよく分かっておられたんだね。藤尾さんはのちに外野にコンバートされ、守りを評価された僕が正捕手の座をつかんだ。

 そして61年、川上さんが監督を受け継いだ。その春に初めて米国のフロリダ州で行ったベロビーチキャンプは、画期的だった。川上さんはキャンプに行く前にみんなにこう言ったよ。

 「とにかく頭の中を全て空っぽにしていくんだ。目から入るもの、耳から入るものを全て吸収するんだ」

 川上さんと僕は、現地の宿舎でアル・キャンパニス【注】の書いた「ドジャースの戦法」を読み込み、マンツーマンでチームプレーを作り上げていった。バントシフト、中継プレー。選手がどう動き、どういう役割を果たすか。バントも「させない」のではなく、あえて「させて」アウトを取る。川上さんは、旧態依然とした野球を、大きく変えた。

 川上さんはやがて、守備における作戦を全面的に僕に任せてくれるようになった。のちに「V9の頭脳」というありがたい評価をいただいたけれど、その分、責任も重かった。

 ビデオもなく、スコアラーもいない時代だ。相手の作戦、打者の狙い。“読み”の勝負で、頼りは自分自身だった。相性の悪い打者の対策を、敵チームの捕手にまで聞いた。

 水原さんと川上さんに共通するのは、野球以外の知識や教養も与えてくれたことだった。水原さんはシベリア抑留時代の話をよくしてくれた。日本人同士結束しなくては生き抜けなかった過酷な体験。チームプレーの大切さをおのずと学んだ。川上さんは、将棋の木村義雄名人のような各界の一流の人を自主トレ中に多摩川の合宿所に招いて、講演会を開いた。そこで勝負の厳しさや心構えに触れた。

 道を開き、実をつけてくれる上司との出会い。何ものにも代えがたい喜びだった。

 【注】アル・キャンパニスは1916年生まれの元メジャーリーガー。40年にブルックリン・ドジャースと契約し、43年9月にデビュー。現役引退後、スカウトを経て68年から87年までド軍のGMを務めた。野球技術の講義の内容などをまとめた「ドジャースの戦法」を54年に書籍化した。

 ◆森 祇晶(もり・まさあき)1937年1月9日、大阪・豊中市生まれ。87歳。現役時代は昌彦。55年に岐阜高から巨人に入団。61年から8年連続ベストナイン。74年引退。球宴出場11回。ヤクルト、西武のコーチを経て、86年に西武監督に就任。パ・リーグ史上初の5連覇(90~94年)を含むリーグ優勝8度、日本一6度に導き、94年限りで退団。2001、02年に横浜(現DeNA)監督。05年に野球殿堂入り。

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