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森祇晶さん「やってられるかい!」ベンチのサインでサヨナラ被弾…連続インタビュー「G九十年かく語りき」

スポーツ報知 / 2024年8月20日 5時5分

1972年6月の阪神戦で川上監督(右)と話す森

 巨人球団創設90周年記念の連続インタビュー「G九十年かく語りき」の第8回は森祇晶さん(87)の登場だ。捕手として「V9の頭脳」と呼ばれ、巨人の強さを支えた洗練されたチームプレーの要でもあった。水原茂、川上哲治という2人の大監督から教えを受け、のちに西武でも黄金期を築き上げた知将が、秘話とともに喜怒哀楽を語った。(取材・構成=湯浅 佳典、太田 倫)

 川上さんは僕を信頼してくれていると思っていたのに、毎年のように捕手を補強するんだ。平安高から野口元三、明大の佐々木勲、慶大の大橋勲、立大の槌田誠、東洋大の宮寺勝利…。死にもの狂いでつかんだポジションなのに、次から次に。そんなに信用できないのかと、いささかまいった。人間だもん、怒りがなかったと言ったらウソになる。

 息を抜く暇なんかなかった。ただ、のちに自分で監督をやって腑(ふ)に落ちた。チームはマンネリでは強くならない。レギュラーを常に刺激して安心させず、活性化を図るのは、絶対に必要なプロセスなんだ。

 こんなこともあった。ある投手が、ゲームの最中に僕のサインにずっと首を振るんだよ。しかも、ベンチをチラチラ見てね。あげくの果てに、僕のカーブのサインに首を振って直球を投げ、サヨナラ本塁打を打たれた。

 どうやら、ベンチからサインを出していたコーチがいたんだな。そりゃ頭にきたよ。こんなんじゃキャッチャーなんかやってられるかい!とね。眠れなくて、翌朝一番に川上さんの自宅に行って抗議した。川上さんのすごいのは、「本当に申し訳なかった。これからはお前に任せるから、気を取り直してやってくれ」と、すぐに謝ってくれたところ。その日の試合は必死でリードして、勝った覚えがある。

 今は、そのコーチも投手も亡くなってしまった。全てを任せてもらっているつもりだったから、何とも腹立たしい思いをしたね。

 ◆森 祇晶(もり・まさあき)1937年1月9日、大阪・豊中市生まれ。87歳。現役時代は昌彦。55年に岐阜高から巨人に入団。61年から8年連続ベストナイン。74年引退。球宴出場11回。ヤクルト、西武のコーチを経て、86年に西武監督に就任。パ・リーグ史上初の5連覇(90~94年)を含むリーグ優勝8度、日本一6度に導き、94年限りで退団。2001、02年に横浜(現DeNA)監督。05年に野球殿堂入り。

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