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森祇晶さん初告白 長嶋さんの後継ぐ覚悟なく98年監督要請断っていた…連続インタビュー「G九十年かく語りき」

スポーツ報知 / 2024年8月20日 5時10分

1968年日本シリーズ第4戦の試合後、宿舎の風呂で長嶋(手前)に水をかける森

 巨人球団創設90周年記念の連続インタビュー「G九十年かく語りき」の第8回は森祇晶さん(87)の登場だ。捕手として「V9の頭脳」と呼ばれ、巨人の強さを支えた洗練されたチームプレーの要でもあった。水原茂、川上哲治という2人の大監督から教えを受け、のちに西武でも黄金期を築き上げた知将が、秘話とともに喜怒哀楽を語った。(取材・構成=湯浅 佳典、太田 倫)

 座右の銘は「忍」。この一文字をよりどころにした局面が、いくつもあった。

 65年に、金田正一さんが国鉄から移籍してきた。“天皇”とまで呼ばれていたカネやんも、巨人では「お前に任せたから。言う通りにやるから、サインもちゃんと教えてくれ」と殊勝に言ってきた。

 その年の開幕戦。中日相手に、初回はサイン通りに投げてくれて抑えた。でも、2回からはサインとは違う球が来る。「もうノーサインでやりましょうよ。自分で好きなように投げてください」と伝えて、何とか完投で勝った。後で分かったのは、カネやんには独特の感性があって、打者の狙い球を投げる途中で感じて、急に球種を変えたりしていたんだね。そこからカネやんの引退までノーサインで通した。ただし、向こうは気持ちよく投げるけど、受ける方は大変よ。1試合1試合、とんでもなく疲れたものだった。

 ちょっと話はそれるけど、西武の監督時代の89年に、就任4年目で初めてリーグ優勝を逃した。堤義明オーナーに報告に行った時に投げかけられたのが「やりたければ、どうぞ」の一言。周囲の人たちは「そこまで言われて監督を続ける必要はない」と憤っていた。ただ、40年来の親友が一人だけ、「やめちゃいかん。やめたら取り返すこともできないじゃないか」。その言葉を胸に刻んで翌90年、ペナントをぶっちぎりで制し、巨人も4勝0敗で倒して、日本一を奪回した。

 その巨人。今だから初めて自分の口から話すけど、98年の秋、水面下で非公式に監督就任の打診があった【注】。ただ、その過程でさまざまな臆測による報道、反対の声が入り交じり、騒然となった。この状況では受諾は無理だと考えて、マスコミの取材には「例え要請があったとしても、引き受けることはない」と答えたんだ。

 長嶋茂雄監督の後に監督をやるには相当の覚悟が必要。でも僕にはその覚悟がなかったということだ。監督をやりたかったか? いやあ、受けなくて良かったと思うなあ…。

 【注】98年の巨人は3位で2年連続のV逸に終わった。長嶋監督は一度は勇退を決意し、後任の最有力候補として森さんが浮上。報道も過熱したが、最終的に長嶋監督の続投で決着した。

 ◆森 祇晶(もり・まさあき)1937年1月9日、大阪・豊中市生まれ。87歳。現役時代は昌彦。55年に岐阜高から巨人に入団。61年から8年連続ベストナイン。74年引退。球宴出場11回。ヤクルト、西武のコーチを経て、86年に西武監督に就任。パ・リーグ史上初の5連覇(90~94年)を含むリーグ優勝8度、日本一6度に導き、94年限りで退団。2001、02年に横浜(現DeNA)監督。05年に野球殿堂入り。

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