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1938年にプロ野球初の3冠王 36年に巨人1号を放った第3代4番打者

スポーツ報知 / 2024年8月22日 6時5分

 創立90周年を迎えた巨人。巨人での出場試合が多い野手、投手を中心に記録にも記憶にも残る歴代の「偉人」を紹介します。第80回は中島治康。

  * * *

 日本初の3冠王に輝いたのが中島治康だ。

 1909年6月28日、長野県生まれ。松本商(現松商学園)から早大、藤倉電線を経て、34年、巨人の前身である大日本東京野球倶楽部に入団した。

 巨人の記念すべき第1号本塁打を36年7月15日のタイガース戦で放ったのは中島。同年秋から第3代の4番打者となる。

 38年秋(38試合)には10月11日から11月5日までの11試合で4安打を5回、5試合連続アーチ、7試合連続打点を記録するなどこの期間の打率は驚異の・583。打率・361、10本塁打、38打点でプロ野球史上初の3冠王となり、MVPも獲得した。

 40年は3度目の打点王となり、同年オフ、日本運動記者協会が「ベストナイン」を決めることになり須田博、川上哲治、水原茂とともに外野手で選出された。

 第1期黄金時代(39~43年)とされる中、主砲として活躍したのち、43年には、藤本定義に代わって選手兼任で第4代監督に就任する。

 軍事色が強くなる逆境の中、6連覇を達成するが、44年兵役のため、退団。終戦後、46年に再び兼任監督として復帰した。

 50年に大洋移籍、51年には監督を兼任するもその年限りで引退した。63年殿堂入り。87年に死去した。

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