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【甲子園】準Vの関東第一・米沢貴光監督がシダックスの代打の切り札だった頃 「火の出るようなヒット」でつかんだ“居場所”

スポーツ報知 / 2024年8月24日 7時28分

関東第一・米沢貴光監督

 闘志を内に秘めた、穏やかな人柄が印象に残った。今夏の甲子園大会で関東第一を指揮し、準優勝へと導いた米沢貴光監督(49)だ。関東第一から中大を経て、社会人野球のシダックス(現在は廃部)で2年間プレーした後、高校野球の指導者へと転身した。米沢監督がシダックスに在籍時の主将で現在、三和建装株式会社の社長室室長を務める田中善則さん(56)に、当時の話を聞いた。(加藤弘士)

 「選手の力、可能性を無限大に引き出す『米沢ベースボール』に東東京大会から甲子園の決勝まで、たくさんの感動をいただきました。整列後、お互いがチームをたたえ合う姿に涙、涙です」

 そう語る田中さんは米沢さんが中大卒業後、シダックスに入社した当時、主将として新鋭のチームを先導していた。「野球はグラウンドでしっかりやろう。あとはみんなで仲良くやろう」と、一体感のあるフレンドリーなチームカラーの醸成に心血を注いだ。

 1998年。シダックスに入社した22歳の米沢さんから、田中さんはこう明かされた。「実は肩が壊れていて、ちゃんとボールが投げられないんです」。左投左打。強打の一塁手だったが、左肩痛に苦しんでいた。

 「引退するまで、まともに投げられているのは見たことがありません。かなり苦労したんだと思います」

 入社して間もなくのことだ。打撃練習で主戦投手の吉井憲治さんが登板した。三本松から西濃運輸を経て、シダックスに移籍したベテランだ。

 「打撃投手ってある程度、打者に打たせるじゃないですか。でも、吉井さんは打たせないんです(笑)。『投手が打者にわざと打たせるなんて、試合ではあり得ない。そんなの練習にならないだろ』ってのが持論で。吉井さんが打撃投手を務めると、『試合』になるんです。完全な『勝負』になる」

 社会人野球の酸いも甘いも知り尽くした猛者と、左肩に不安を抱えたルーキー・米沢とのマッチアップ。三塁を守る田中さんら、守備陣もその打席に熱視線を注いでいた。その初球、米沢さんは謙虚に言った。

 「バントお願いします」

 マウンド上の吉井さんは、こう語気を強めた。

 「バントはないやろ! もう打つしかないんやから。米沢、ベンチからやり直せ!」

 ベンチに戻り、滑り止めのスプレーを噴射して、何度か素振りした後、再び打席に立った。「さあ来い!」。闘志あふれる新人の姿に、守備陣も笑顔になった。次の瞬間だ。吉井さんの投じたストレートを、米沢さんは強くはじき返した。

 「1球目、カーンと。火の出るようなヒットでしたよ。吉井さんが『米沢、それじゃあ!』って叫んでね。打撃練習なのに、米沢監督も一塁ベースまで走って。守備でも左肩に不安を抱えながら、一生懸命ファーストの守備をやっていましたよ。頑張ってボール回しを必死に投げていました」

 野球への真摯(しんし)な姿勢はナインの誰もが認めるものだった。田中さんは当時の竹内昭文監督に進言した。

 「米沢の打撃はいいですよ。左の代打の一番手、切り札で使いましょう」

 その打棒は翌1999年の日本選手権で開花。シダックス初の日本一に貢献することになる。

 「あの頃の真面目な性格、温厚な人柄は今でも変わっていませんよね」

 そう回想する田中さん。関東第一の人情味あふれるチームカラー、そのルーツの一端を垣間見た気がした。全国の頂点を目指す米沢監督の新たな挑戦を、引き続き追っていきたい。

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