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24時間マラソンはランナー間寛平サイドの「逆提案」で生まれた…日テレ伝説のテレビマンが明かす「24時間テレビ」32年前の舞台裏

スポーツ報知 / 2024年8月30日 4時0分

日本テレビ顧問・小杉善信氏

 毎夏恒例の日本テレビ系チャリティー番組「24時間テレビ47」が31日、9月1日に放送される。

 日本テレビ顧問の小杉善信氏は、現在同局で唯一、第1回から「24時間テレビ」を知る伝説のテレビマンだ。おなじみの「サライ」やチャリティーマラソンというフォーマットは、小杉氏が手がけた1992年の第15回から始まったもの。前年は視聴率や募金額が伸びず、当時30代後半の小杉氏にテコ入れが託された。

 「僕はチャリティーのことを知らない。でも『そういうヤツがやるからいいんだ』と。チャリティーという軸は変えず『とにかく何をやってもいいから立て直せ』と言われ、同期のプロデューサーといろいろ考え始めました」

 その頃の24時間テレビは、福祉リポートや海外チャリティー活動のVTRを中心にした構成だった。「それはそれでいいのですが、僕から見ると、ちょっと遠い感じがしたんです。あっと驚く人がチャリティーをやらなければ」と、カリスマ的な人気を誇ったダウンタウンをパーソナリティーに起用。「あの2人が黄色いTシャツを着る違和感。半分ぐらい見えたなと」。方向性は決まった。 

 初の24時間マラソンはランナー・間寛平サイドからの逆提案。「最初は42・195キロ走ってもらおうと思っていたら、マネジャーが『24時間走らせましょう』と。どんどん番組の骨格ができていった」。道中の混雑で寛平は無念のリタイアとなったが、番組を通してのチャレンジは視聴者を驚かせた。

 放送中に視聴者から詞を募集し、加山雄三と谷村新司さんが24時間で楽曲を完成させるプロジェクトで生まれたのが名曲「サライ」。チャリティーとエンターテインメントを融合させた画期的な生放送を完走し「(制作のメンバーと)放送直後に抱き合って泣きました」と振り返る。

 「やめられない使命を背負っている」と、大震災やコロナ禍などさまざまな苦難に直面しても、番組を続けてきた24時間テレビ。後進には「いつでも(番組の形を)変えていいよ」と伝えており、年ごとの進化も見守っている。「今年の放送も、新しい取り組みにチャレンジしている。ちゃんと視聴者に届くまで放送するということに、テレビ局の真価が問われると思っています」と期待した。

台風10号対応今日午後決定 〇…日本テレビは29日、週末から週明けにかけて本州を縦断するおそれのある台風10号の接近に伴う「24時間テレビ」の対応について、30日の午後3時に方針を決定すると公式サイトで発表した。系列の中京テレビはこの日、名古屋での募金会場での中継やスペシャルライブなどのイベントを取りやめると公式Xで告知した。

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