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7年4か月ぶり公の場登場の高山善廣が流した涙…プロレスの美しさ、優しさが凝縮されたTAKAYAMANIAの夜

スポーツ報知 / 2024年9月4日 19時34分

3日の「TAKAYAMANIA」メインイベント終了後のリングで抱き合う高山善廣と鈴木みのる(カメラ・今成 良輔)

 プロレスという存在の持つ魅力のすべてがギュッと凝縮されたような一夜だった。

 3日、格闘技の聖地、東京・後楽園ホールで行われた「TAKAYAMANIA EMPIRE3」。頸髄(けいずい)完全損傷の大ケガとの不屈の闘いを続けているプロレスラー・高山善廣(57)支援を目的としたチャリティー大会の最後の最後に奇跡のような瞬間が待っていた。

 全盛時196センチ、125キロの巨体から繰り出すパワフルな攻撃を武器にUWFインターナショナルを皮切りに全日本プロレス、新日本プロレス、プロレスリング・ノアとメジャー団体を渡り歩き、IWGPヘビー、三冠ヘビー、GHCヘビーなど各団体の最高峰のベルトを総なめ。「プロレス界の帝王」と呼ばれた高山。

 プロレス界でスーパーメジャーな存在ながら、2001年には総合格闘技のPRIDEにも参戦。格闘技ファンなら誰もが知るドン・フライとの互いに首に腕を掛け、顔面が変形するまでの殴り合いを敢行。全米マット界でも、その名を知らぬファンはいないほどのレジェンドとなった。

 しかし、そのレスラー人生は17年5月4日のDDT大阪・豊中大会で暗転。リング上の事故で負った大ケガで首から下が動かない状態となり、長期のリハビリ生活に入った。

 開催自体、19年8月26日の「EMPIRE2」以来5年ぶりとなった「TAKAYAMANIA」のメインイベントでは、高山の盟友・鈴木みのる(56)と柴田勝頼(44)がシングルマッチで激突した。

 果たして、高山自身の参加はあるのか。「多分、無理なのでは…」。そんな思いで見守った私、そして、超満員1701人の観客の前で突然、その時が来た。

 27分18秒に及んだ激闘を終えた直後、マイクを持った今大会の旗振り役・鈴木。

 「みんなが『高山頑張れ!』って、高山のためにたくさんのオカネをつぎ込んでくれて…。スタッフ一同、みんなを代表してお礼を言います。ありがとうございました!」と、募金に対して深々と頭を下げた後、出場全選手を「遠慮なく中に入れ」とリング上に招き入れた。

 記念撮影後、「今日のスペシャルゲストは高山善廣~!」と絶叫。そして、わき起こった観客の「高山」コールと手拍子の中、入場テーマ「DESTRUCTIVE POWER」とともに車イスに乗った高山が赤コーナーから登場。6人のレスラー、スタッフの手でロープを外したリング上に担ぎ上げられた。

 まさにサプライズの帝王の7年4か月ぶりの帰還に場内は沸騰。「高山~!」、「帝王~!」の絶叫が交錯する中、その胸に顔を埋め、号泣した鈴木。特別ゲストの武藤敬司さん(61)、小橋建太さん(57)が次々とその右手を握り、胸を叩いた。桜庭和志(55)、秋山準(54)ら後ろに並んだ、ゆかりのレスラーも指で涙をぬぐっていた。

 妻・奈津子さんと長男との記念撮影を終えた後、さらなる驚きの展開が待っていた。

 奈津子さんが車イスの背もたれを立たせると、赤コーナーに陣取った高山はリング上で青コーナーに仁王立ちの鈴木と対峙(たいじ)。場内に流れた「時間無制限1本勝負。赤コーナー・鈴木みのる、青コーナー・帝王・高山善廣」のコール。急きょ緊急試合が組まれたのだった。

 地鳴りのような大歓声の中、ゴングが鳴った。

 「来いよ! 来て見ろよ! 立って向かって来いよ!」と挑発する鈴木だが、首から下が麻痺(まひ)しているためこれ以上動けない高山。それでも、首を必死に前に動かし、立とうとする意思を見せた。

 頬をふるわせ、涙を流す盟友に鈴木は「立てねえのかよ? おめえが立てねえんだったらよ。この勝負、お預けにしてやるよ。その代わりな。てめえが帰ってくるまで、俺はこのプロレス王の座でおめえのことをずっと待ってるからな。何が帝王だ。今のプロレス王は、この俺、鈴木みのるだ。悔しかったら立ち上がって、俺の顔を蹴っ飛ばしてみろ、コノヤロー!」と挑発。

 悪態もそこまでで、その両手をがっちりとつかむと「絶対、やるからな。勝手にあきらめるんじゃないぞ。絶対、あきらめるなよ」と泣き笑いの顔で呼びかけ、もう一度、高山を泣かせた。

 鈴木は「さあ、本人がそろったところでやりてえよな」と締めのマイクを高山に要求。差し出されたマイクに高山は「みんな、今日はありがとう」と一言。「最後に行くぞ~! NO FEAR~!」と決めゼリフを口にし、もう一度、大歓声に包まれた。

 バックステージでも奈津子さんが見守る前で約20人の取材陣に囲まれ、「うれしかった。本当は立ち上がりたかったけど、これだけ盛り上がったのはうれしかった」と微笑した高山。

 満足げな表情を目の当たりにした時、冷静に事象を観察するべき記者としては恥ずかしいことだが、私の頬にも涙が伝っていた。

 それは半年前のこんな記憶が甦ったから―。

 私が高山と療養先の施設の個室で初めて会ったのは、今年3月のことだった。

 当時手がけていた大仁田厚(66)の50年間のレスラー人生を追う連載「シン・大仁田厚 涙のカリスマ50年目の真実」取材の一環として実現したのが、大仁田と数多くの電流爆破マッチを戦った高山のインタビューだった。

 長時間の会話が制限されているため、30分限定のインタビューの中で聡明な「帝王」は鮮明な記憶と自分だけの言葉で大仁田の魅力、そしてプロレスの魅力を大いに語ってくれた。

 インタビューの最後には、こんなことを口にした。

 「僕の一番の失敗はリング上で大ケガをしてしまったこと。僕は担架で降りてしまった」―。

 大ケガを負った7年前の試合を振り返ると、こう続けた。

 「自分で試合を終え、あいさつして、リングを降りる。それができなかったことに悔いが残ってます。以前の状態に体を戻すことは、はっきり言って無理だと思っているけど、自分の体をちゃんと戻せたら、リングに上がって、あいさつしたいと思ってます。自分でリングを降りないと、一流のプロレスラーではないですから」―。

 だから、半年ぶりの再会となった高山に他の記者を差し置いて聞いていた。

 「高山さんが持ち続けてきた自分の足でリングを降りることができなかったことへの悔いは今日、大歓声を浴び、ファンにあいさつできたことで少し薄れましたか?」―

 首の部分を立たせた車イスの上からこちらをじっと見つめた高山はその瞬間、確かに微笑(ほほえ)み、私の目を見ながら、こう言った。

 「まだ自分の足でリングを降りてないので、また立てるようになって戻ってきたいと思います。でも、皆さんにあいさつできたことで、ホッとしてます」―。

 そして、自身のために激闘を展開した鈴木と柴田に対し、「本当はアメリカでやりたい2人だろうに、今、このリングでやってくれて、もったいないくらい、ありがたいです」と感謝すると、記者たちにも「皆さん、本当にありがとう」と口に。

 介護士の資格も取り、24時間付き添い続ける奈津子さんとともにエレベーターに乗り込んで聖地を後にした「帝王」。その背中には記者たちからの大きな拍手が降り注いだ。

 私も手が痛くなるくらい拍手しながら、こう思った。

 拍手を浴びながら、高山が浮かべた恥ずかしそうな微笑みも、リング上のパフォーマンスを終えた途端、募金箱を抱えて走り出し、チャリティーの先頭に立った鈴木の背中も、髙山を見守ったレスラーたちの涙も、その全てを私は忘れない。

 そこにはプロレスという存在の持つ気高さ、強さ、優しさ、美しさのすべてが詰まっていたから―。(記者コラム・中村 健吾)

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