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小林邦昭さん、生前に明かしていた「タイガーマスク」覆面を剥いだ秘話…決意に導いたアントニオ猪木さんの言葉

スポーツ報知 / 2024年9月10日 11時30分

初代タイガーマスク(中央)とリングに立つ小林邦昭さん(左端。右は山崎一夫氏。昨年10月30日「SSPW」新宿大会で)

 「虎ハンター」の異名で新日本プロレス、全日本プロレスのジュニアヘビー級で活躍した小林邦昭さんが亡くなった。68歳だった。

 小林さんが一躍、スターダムにのし上がった一戦は、1982年10月26日、大阪府立体育会館でのタイガーマスクとの激闘だ。

 タイガーマスクの覆面をかぶった佐山サトルは、新日本プロレスへの入門で3年後輩だった。2人は道場のスパーリングで鍛錬し若手時代には70回を超える試合でしのぎを削ったライバルでもあった。

 一方でリングを離れると先輩と後輩の垣根なく連れだって遊んでいた。かつて佐山を取材した時に当時の小林さんを「あんなに優しい方はいません。あの厳しい新日本プロレスの道場での練習を耐え抜けたのは、小林さんという優しい先輩がいらっしゃったおかげです」と回想した。

 時を経て佐山はタイガーマスクの覆面をかぶり、国民的なヒーローとなった。小林さんは、メキシコ武者修業を経て、タイガーマスクの宿敵として初の一騎打ちを組まれた。それが82年10・26大阪だった。

 試合前、小林さんは、アントニオ猪木さんに呼ばれたという。

 「この試合で存在感を示せ。この試合で残せるものがなかったらお前はずっとダメだぞ」

 師匠の一言で小林さんは、思い悩んだ。「存在感」を示すべく出た行動が虎のマスクを破ることだった。

 「猪木さんの言葉で切羽詰まりました。どうしたら自分の存在感を示すことができるのか?考えた末の結論がマスクを剥ぐことでした」

 スーパーアイドルの虎の覆面を剥ぐことはタブーだった。リング上で素顔が半分もあらわになるほど大胆にマスクを破った。その禁忌を打破した大阪。小林さんの運命が激変した。

 「あの時は毎週金曜日にゴールデンタイムで放送されてました。それまでは町を歩いても誰も振り向かなかったのに、あの翌日から町に出れば自分のことをみんな知っていた。あれで僕の人生は激変しました」

 会社には小林さん宛てにカミソリ入りの封筒が送られてきたが「そこまでファンを熱くさせたのはプロレスラー冥利(みょうり)に尽きます」と小林さんはほほ笑んだ。

 タイガーマスクという最高の宿敵がいたからこそ輝いた小林さん。「タイガーマスク vs 小林邦昭」。時代を経てもその輝きは永遠に失うことはない。(福留 崇広)

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