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三宅裕司「残りの人生は喜劇役者として」、還暦迎え病床で自問自答、劇団SETは創立45周年

スポーツ報知 / 2024年9月21日 8時0分

「趣味入院、特技退院と冗談で言っていたけど、悪いものは全て出し切りました」と笑う三宅裕司(カメラ・堺 恒志)

 タレントの三宅裕司(73)は俳優、ラジオパーソナリティーと多くの顔を持っている。芸能生活初期の1979年に劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」(SET)を結成し、創立45周年を迎えた。45周年記念公演「ニッポン狂騒時代~令和JAPANはビックリギョーテン有頂天~」(10月17日から東京・サンシャイン劇場ほか)を控え「残りの人生は喜劇役者として生きていきます」と宣言。きっかけになった出来事や劇団の転機などを語った。(加茂 伸太郎)

 「30周年も40周年も、特別に意識したことはないんですよ。毎年、前回より面白くしなきゃという思いですから」。聞きなじみの良い声色、穏やかな語り口。SETが45周年を迎えても、三宅はあくまで自然体だ。

 東京の下町・神田神保町の生まれ。母親がSKD(松竹歌劇団)出身で日本舞踊を教え、叔母はSKDで活動。幼少期から芸事が身近にあり、長唄や小唄、三味線を習って育った。大学卒業後は迷わず、芸の道へと進んだ。

 東京新喜劇(のちの大江戸新喜劇)の旗揚げに参加するが、方向性の違いから1年ほどで脱退。「音楽の要素を入れたくて。たくさん勉強させていただいて感謝しているけど、当時の僕には物足りない感じがしたのかな」。この時、同じ志の15人を引き連れて結成したのが、ミュージカル・アクション・コメディーを旗印にしたSETだった。

 1980年の旗揚げ公演は散々。「お客さんが来ない。国鉄のストライキで電車が動いてないもんだから。舞台に15、16人、客席には5、6人。カーテンコールは、お客さんが恥ずかしくて目を伏せちゃうんだから(笑い)。すごいスタートでしたね」と懐かしむ。

 劇団が軌道に乗るきっかけは、若手劇団の登竜門的な存在の演劇祭「シアターグリーンフェスティバル」への参加だった。「1枚のチケットで9劇団ぐらいを見られるんだけど、他の劇団を見に来たお客さんが、SETのファンになってくれたんです。そうか、他の劇団のファンを集めちゃえばいいんだって。そこから口コミで集まるようになって、一気に増えましたね。(動員が)1000人近くになって“いけるぞ、これは!”ってなりました」

 ニッポン放送「三宅裕司のヤングパラダイス」(84~90年)の影響もあって、さらに動員は増加。それ以来、「絶対に面白いもの作る」という一心で走り続けてきた。「喜劇だから、お客さんの反応が自信に直結するわけです。笑わそうとした時、シーンだと終わっちゃいますから。毎回の公演の笑い声が手応えになるんです。(SET所属で盟友の)小倉久寛が言うんですよ。三宅さんは、売れていない頃から『俺に付いてくれば、何とかしてやる』って空気を常に出していましたよって。(観客の反応に関係なく)ずっと自信はあったんでしょうね(笑い)」

 2011年7月、三宅自身にも転機が訪れる。背骨にある神経の通った管が狭くなり、その神経を圧迫する脊柱管狭窄(きょうさく)症のため緊急入院。事務所が主催した還暦祝いのパーティーの翌月の出来事だった。「(パーティーの壇上で)『天にも昇る気持ち。俺は何て幸せなんだ』と言った1か月後、下半身が全く動かなくなるわけですから。医者から『神経が止まっている。手術するけど、障がいが残る可能性がある』と。天国から地獄でしたね」

 数か月間の入院生活。病床から天井を眺めると、あることが脳裏をよぎった。

 「俺、何で生かされているんだろう」

 「―ヤングパラダイス」後、TBS系「三宅裕司のイカすバンド天国」、日本テレビ系「THE夜もヒッパレ」、同局系「どっちの料理ショー」など司会業を中心に不動の人気を得ていた。「司会の仕事で成功したものですから、次から次へと(司会の)依頼が来るわけです。そうすると『ただ売れ続けたい』という思いが強くなって、本当にやりたいことが分からなくなっちゃう…。そんな時に入院して、ちゃんと分からせてくれるんですね」

 たどり着いたのは原点。「東京の喜劇をやるために生かされている」だった。

 復帰は、座長を務める熱海五郎一座「落語日本花吹雪~出囃子は殺しのブルース~」(12年)。振り付けの担当に「復活した姿を見せたいからアクションを付けてくれ。足のしびれが残っているから動かなくて格好いいのを!」と伝えた。半年間のリハビリを経て、立ったステージ。客席からの万雷の拍手に「東京の喜劇をやるために生かされている」という思いは確信に変わった。

 04年に「憧れの先輩。粋と野暮(やぼ)、東京の笑いを大事にされている方」と慕う伊東四朗(87)が座長を務める、伊東四朗一座に参加。東京の笑いを継承するため、06年に自身が中心になって熱海五郎一座を旗揚げした。

 「SETのテーマは『社会派』。それをより楽しく伝えるためにミュージカル、アクション、コメディーの要素がある。熱海五郎一座はテーマが『笑い』。とにかく笑ってほしい。2時間半のストーリーを引っ張るために、テーマを要素として使っています」

 今回のSET本公演は、安保闘争に揺れる1960年代の日本が舞台。アメリカンポップスの魅力に取りつかれた若者と、学生運動に明け暮れた若者たちの恋と挫折のストーリーになる。

 「昨年、何げなく討論番組を見ていたんです。団塊世代の人が『俺たちがやっていたことは、何でもなかった』と言ったんですが、若い世代の人間が『何でもなかったですかね? 何か意味はあるんじゃないですか』と返していて。それを見て、60年代安保と僕が大好きな60年代の音楽、いわゆるカバーポップスが引っ掛かったんです」

 野添義弘(66)、西海健二郎(52)、おおたけこういち(43)ら劇団員が学生役を演じるが、「3人とも見た目が学生じゃないだろ!って(笑い)。体中でツッコミを浴びて、面白くしてくれると思います。そこに『恋』の要素が加わると、どうなるかでしょうね」と話した。

 東京の軽演劇をなくしてはいけない、という思いを抱く三宅。自身にとっての東京喜劇とは―。

 「粋という邪魔なものを取り入れ、一番面白い喜劇を作ること。下ネタ、客いじり、コマーシャルネタ…安易なものは使わない。人間と人間の設定を、どう落とせるかっていうね。残りの人生は喜劇役者として生きていきます。喜劇役者として過ごす時間が、多くなりそうですね」

 ◆公演日程 東京公演は10月17~27日までサンシャイン劇場。兵庫公演は11月8~10日までAiiA 2・5Theater Kobe。

 ◆三宅 裕司(みやけ・ゆうじ)1951年5月3日、東京都出身。73歳。明大卒。大学時代は落語研究会。79年にSET結成。95~97年に映画「サラリーマン専科」シリーズに出演。2003年に映画「壬生義士伝」で日本アカデミー賞優秀助演男優賞。07年に17人編成のビッグバンドを結成し、バンマスとしてドラム担当。特技はドラム、落語。176センチ。

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