1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. 野球

巨人・長嶋茂雄終身名誉監督「もう子離れする時にきたのかな」頑固な阿部慎之助にV9捕手・森祇晶を見た

スポーツ報知 / 2024年9月29日 4時0分

2000年12月、長嶋監督(左)と入団会見に臨む阿部

 巨人の長嶋茂雄終身名誉監督(88)=報知新聞社客員=が、優勝に導いた阿部監督の手腕を絶賛した。2001年のルーキーイヤーから「私には責任がある」と、我が子のように見守ってきたミスター。その成長ぶりをスポーツ報知に熱く語った。

 素晴らしい巨人軍を作ってくれた。私には阿部への責任があり、しかし、いよいよ子離れする時がきた。2000年ドラフトで巨人を逆指名してくれた時からの縁。お父さんに頭を下げ、「必ず一人前にしてみせます」と約束したのがつい先日のように感じる。監督になった今年は月1回、東京Dに行った。老婆心ながら、いつも心配だった。だから顔が見たかった。悩んでいないか。眠れているだろうか。ただ、どんな時でも必ずこう言ってくれた。「9月にはチームをいい方向に向かわせますので」

 昔から、阿部は頑固だった。一番感心したのは、先輩ピッチャーにも「僕はこう思います」と信念を貫いたことだった。上原浩治やD・メイ、桑田真澄が相手でも、感じたことは指摘した。メディアに「リードが若い」とたたかれても「お前らに何が分かる」と反骨心に火を付けて陰で勉強した。まるでV9捕手・森祇晶を見ているようだった。

 ある時、大エース・堀内恒夫がカーブを投げたくて首を振った。しかし、森は頑として直球を要求した。私はサードから「カーブでタイミングを外してもいいのでは?」と思ったが、堀内の荒れ球を生かした直球が空振り三振を奪った。堀内は帽子を取る。私も「森ってすごいな」と感心させられた。先の先まで読む察知能力。森は名将になった。

 阿部監督も同じ道を行くのだろう。思えば12年の日本シリーズ。沢村の頭をマウンド上ではたいた時は、つい笑ってしまった。「変わってないなあ」と。昔から、投げた球に意図を感じなければ容赦なかった。阿部2軍監督になった20年。試合に負ければ“罰走”を命じた。伊東キャンプをほうふつさせる厳しさは私の耳にも届いた。「厳しい? いいじゃないか。好きなようにやればいい」。昔風の指導法をメディアに批判されても貫いた。負けじと成長したのが井上だ。伸び上がるようなすごい真っすぐを投げるようになった。ベースカバーに遅れたり、気を抜いた球を投げれば叱る。自分に厳しい男は曲がったことを嫌った。勝つために頑固であり続け、大きな戦力を生んだ。

 変わらないその決意は、未来の巨人まで見つめる。スター候補は秋広と浅野。秋広には厳しく接しているようだが、どんな打者になりたいのか伝わってこないからだろう。逆に、浅野は階段を上った。「俺が巨人の1番打者になるんだ」という気概を感じる。9月の東京D。指揮官は「浅野は我慢して使います。スターにします。長嶋監督は僕を我慢して使ってくれたので」と約束してくれた。優勝と同時に育成もする。一番難しいことを実行する頑固さは相変わらずだ。

 球団創設90周年に、100周年という先を見据えた指導プランは、実に見事だった。ダメなら責任を取ればいい―そんな覚悟すら伝わってきた。“4番としての経験”も、名将と呼ばれるまでの支えになるだろう。次なる目標・日本一へ。失敗を恐れず、思う存分、阿部イズムを発揮してもらいたい。(報知新聞社客員)

 ◆「V9の頭脳」森祇晶 水原茂、川上哲治と2人の名監督の教えを受けた巨人V9(65~73年)時代の正捕手。61年から8年連続ベストナイン。86年から西武監督を務め、90~94年にパ・リーグ初の5連覇などリーグV8度、日本一6度を成し遂げ、歴代屈指の名将として知られる。選手、監督として日本シリーズで出場20度連続制覇も記録。01、02年には横浜(現DeNA)の監督も務めた。05年野球殿堂入り。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください