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ピート・ローズと言えば…野球賭博や永久追放じゃない ローズという男のグラウンドでの姿

スポーツ報知 / 2024年10月1日 16時55分

日米野球第7戦でのピート・ローズ 7回表2死二、三塁から中前打を放ち、中堅手が打球処理にもたつく間に二塁へ5メートル前からダイビングしてセーフに

 ピート・ローズ氏が死去した。野球賭博に関与したとして1989年に球界から永久追放となって野球殿堂の候補にもなれなかった安打製造機だったが、現役時代の勝利への執念は素晴らしかった。

 ローズのスイッチヒッターは父親の教えだった。父が少年野球のチームに「右投手に対しては左で打てるようにして欲しい」と注文をつけて、それによってスイッチヒッターとしての精度を高めていった。そして父に教えられたことが、いつもハッスルすること。これは報知新聞が1978年レッズが日米野球で来日した際に連載した「ピート・ローズのハッスル教室」の第3回に「野球をするなら第一にハッスルしようと心に決めること」と少年たちへの言葉として語っている。

 そんな男に付けられたニックネームはチャーリー・ハッスル(張り切り男)。あるオープン戦でローズが四球になった時に、全力疾走で一塁に向かった様子を見た、ヤンキースの左腕エース、ホワイティ・フォード投手が名付け親だ。

 メジャーデビューして12打数ノーヒットのスタートだったが、フレッド・ハッチンソン監督はローズの全力プレーを評価。前年二塁のレギュラーだったドン・ブラッシンゲーム(日本ではブレイザーと表記された元阪神監督)が故障していたこともあって、セネタースに放出された。代わったローズが二塁手として157試合に出場して170安打を放ち、打率2割7分3厘で新人王に輝いた。

 当時はそんなに多くなかったヘッドスライディングが代名詞となったローズ。中でも一塁から三塁へ進塁するケースで頭から突っ込むシーンは有名だ。そして、勝つことに執念を燃やすローズの真骨頂が1970年のオールスター戦のシーンだ。

 延長11回2死一、二塁。二塁走者のローズはヒックマンの中前安打で本塁を狙った。捕手のフォッシが返球を受けてタッチしようとしていたところに、ローズが右肩からショルダータックル。現在ならルールで認められないコリジョンプレーだが、その体当たりで落球しサヨナラのホームインを決めた。フォッシを負傷させたプレーでローズが批判されたが、後年アスレチックスの解説をやっていたフォッシに当時のことを聞くと「あれは(当時なら)予期しておくべきプレーだった」とローズへの批判は的外れと言っていたのを思い出した。

蛭間豊章(ベースボールアナリスト)

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