巨人伝説の「10・8」から30年…桑田さんと村田さんが振り返る 決戦前夜パジャマ姿の長嶋監督に呼ばれて
スポーツ報知 / 2024年10月8日 5時10分
伝説の「10・8決戦」から8日で30周年を迎えた。1994年10月8日、巨人は中日との史上初の同率首位決戦となったリーグ最終戦に6―3で勝利してセ・リーグを制覇。「国民的行事」と位置づけて臨んだ長嶋茂雄監督(現巨人軍終身名誉監督、88)が5度、宙を舞った。このほど「10・8」を締めくくった、巨人の黄金バッテリーの対談が実現した。終盤3回を無失点に抑え、華麗なガッツポーズを決めたのが巨人・桑田真澄2軍監督(56)。そして、捕手として3本柱を引っ張ったのが、スポーツ報知評論家の村田真一さん(60)。名コンビが、裏話をたっぷりと披露した。(取材・構成=柳田寧子、四野宮秀和、太田倫)
★決戦前夜
村田(以下、村)「真澄と10・8の話を改まってするのは初めてやね。試合の前の夜、マキ(槙原寛己)と真澄が長嶋監督に呼ばれたんよな。一人ずつやったん?」
桑田(以下、桑)「一人で呼ばれました。笑い話にはなるんですけど…、ホテルの部屋をノックすると『おお、桑田、入れ』。監督はパジャマ姿でした。『座りなさい』と言われましたが、ソファにいっぱい服を出しているんで、座るとこがないんですよ。どこ座ろう?って思いました。下着とかもあったので、それをよけて座りました。2日前(10月5日のヤクルト戦)に神宮で投げていたので『ありがとうな、あしたはしびれる試合だからな、しびれるところで行くから頼むぞ』と伝えられました。『えっ、何回くらいで行きますか?』って聞くと『しびれるところだ!』って」
村「8、9回に行くのは決まっているんやろうけどな」
桑「そしたら監督の部屋に電話がかかってきたんです。監督、パジャマのボタン掛け違えているなあ…って思いながら聞いていたら、電話で『ケンちゃん、おれたちはやるよ、ありがとう!』って言うんですね」
村「それ、真澄に聞いたなあ(笑い)」
桑「監督は『ケンちゃんも応援してるから頑張ろうぜ! ケンちゃん、知ってるだろう?』と言ってきました。僕ら世代は、ケンちゃんと言えば志村けんさん。『志村さんですか?』って言ったら『バカヤロー、お前、高倉の健ちゃんだよ!』って…。どこで投げるかまた聞いたんですけど、『だから、しびれるところだ。じゃあそういうことだから、帰りなさい』って言われて、帰されました」
★伝説のミーティング
村「長嶋監督のミーティング、覚えてる?」
桑「それが全然覚えていないんですよ…」
村「ウォー!って盛り上がってバスに乗り込んだのは覚えているけど、監督が『勝つ、勝つ』って何回言ったとか、オレも内容は全然覚えていないんよね」
桑「僕は自分の出番はないな、って思っていましたから…。自分の仕事は終わっていて、あとはお願いしますって感じでしたね」
村「斎藤(雅樹)は斎藤で『マキと桑田の2人で9回行くから、オレはないと思っていた』って言っとったよ。でも、ベンチはマキ、斎藤、真澄の3本柱(の継投)で行くって決めてたわけやからな。オレは試合当日、堀内(恒夫)さん(当時投手コーチ)に聞いたんちゃうかな」
桑「それは僕は聞いてなかったんですよね」
村「球場に入った瞬間に異様な空気よ。外野も満杯で、『うわ、すげえ…』と思った。グラウンドに出たら、ベンチ前からレフトのところまでカメラがズラリ。ワイドショーまで来ていたからね。日本シリーズ行ったら、カメラ少ないなって思ったもんね」
桑「アップでランニングする時に、左翼席から『頼むぞ!』と声が聞こえてきました。僕はドラフトですごい悪役で入ってきて、(入団以降も)ジャイアンツファンからも結構ヤジられてたんですよ。だから応援がすごくうれしくてね。なんかうるっときました」
村「そういうヤジるファンもおったんやね」
桑「いたんですよ、敵のファンかなと思うと、ジャイアンツファンだったとかね…。ああ、これでようやく認めてくれたのかなと思いました」
★しびれる場面
村「1、2回って何してたの?」
桑「最初は裏でマッサージや治療をしていて、ちょっとベンチに入ったんです。そしたら横からすごい視線を感じて。視線が痛いなって思ってパッと見たら、長嶋さんがアゴをクイッとやって『行かんかい!』(というしぐさをした)。それで、ブルペンに行きました」
村「体はバリバリやろ」
桑「もうバリバリです」
村「斎藤も『中1日でバリバリですよ、よく自分でも放れると思う』って言っとった。あの頃は完投しても中2日でベンチに入ってたもんな」
桑「ブルペンで、周りの救援の人たちが『オレたち、こんなのチビって投げられないよな』って話をしていたんです」
村「宮本(和知)ならおなか痛くなるやろ(笑い)」
桑「『この雰囲気では投げられない、3人に任すしかないよ』って言われたのは覚えています。僕は逆にうれしかったですね。こんな一生に一度あるかないかの最高のマウンドで投げられるのはありがたいなって」
村「中2日でも、真澄の球はいつも通りに来ていた。すげえなって思っていた」
桑「肩肘の疲労はそんなになかったですね。最後はやはり気持ちなんですよ。体動かすのもね」
村「あの打線を抑えるのは大変よ。パウエルが首位打者で、ホームランと打点王が大豊(泰昭)。仁村(徹)さんもしぶとかったし、彦野(利勝)なんかも小力があった」
桑「球場が狭いから、大豊さんはバットが折れても左翼にホームランというのもありました。勘弁してよ…って感じでしたね」
★ゲームの重圧
村「絶対勝たなあかん、と思ってたよな。負けたらエライこっちゃ、と」
桑「そうですね。勝つことしか考えてませんでした。中日の投手は今中(慎二)が投げて、山本昌さんとか郭(源治)さんとかは投げなかったんですよね。あれでいけると思いましたよね」
村「中日としたら、まさかの連勝でここまで来たから、これまで通り、普段通りいこうと思ったんだろうけどね。山本昌とかを出されたら、こちらの打者も緊張したやろうな。本当にいつも通りにリリーフが出てきたときは、内心ラッキーと思ったよ」
桑「(8回に)立浪が一塁へヘッドスライディングしたのなんて、普段見ないじゃないですか?」
村「初めて見たよ、ヘッドスライディングしたのは」
桑「脱臼した左肩を押さえている姿を見て、逆に燃えましたね。すごい、立浪でもここまでやるんだ、余計に負けられないなと思いました。執念を見せられて、なんかゾクゾクして、感動したんですね」
★値千金の一撃
桑「(当時の写真を見返しながら)ところで村田さん、ホームラン打ったんですか?」
村「打ったよ、ええ思い出よ」
桑「なんでハイタッチしてるんだろう?と思って今ずっと見てたんです。誰から打ったんですか? 今中? カーブをすくい上げたんですか。右中間? レフトじゃないんですか?」
村「なんでそこを忘れてるのよ! オレが打つと思ってないから、世間話でもしてたのかもしれんな」
桑「すいません。忘れていて…(笑い)」
★ゲームセット
村「8回(1死一、三塁のピンチで仁村を空振り三振、彦野を三直に抑える)が終わったときにオレは勝ったと思ったよ。これで大丈夫や、と」
桑「仁村さんはなかなか三振しない人じゃないですか? ストライクからボールになるワンバン気味のフォークで、三振を取ったのを思い出しました」
村「9回の最後の打者は小森(哲也)ね。捕手は(優勝の瞬間)三振取って、ボールつかんで走りたいって思うもの。最後はどうやったら空振り取れるんやろと。カーブはよく曲がっていた。サイン出して、ほら空振りや、ってイメージ通りだったよ」
桑「村田さんが最後、タイミングよくカーブを出してくれました。1球1球集中していたので、勝ってどんなガッツポーズしようか、なんて考えてなかったですよ。体が勝手に動いたっていう感じですね」
★「10・8」とは
桑「野球の神様が与えてくれた最高の舞台ですね。苦しいことも楽しいこともあったけど、頑張ってきたので、この舞台が与えられたのかな。勝ったときはうれしい以外にないですね…。長嶋監督のもと、すごいメンバーと一緒にその舞台に立てた。いい思い出でもあり、いい経験でもありました。これ以上ってないですよね」
村「オレも最高の思い出だと思ってるし、これに出て、勝ったから、今があると思ってる」
桑「おそらくナゴヤ球場だからこそ、ここまで盛り上がったんですね。条件が全てそろっていました。僕らはビジターだったし、中日が追いついてきて、有利な状況でもある。それを覆したっていうのが、倍の喜びにつながったと思います」
村「10・8より緊張した試合はない。勝ったときはうれしさ大爆発よ。あの落合さんだって泣いてたからね。みんな、先のことはどうでもいいと思ったと思うよ。この試合に勝つことが全てだった」
桑「甲子園の決勝とも全く別物ですよね。もちろん甲子園もうれしかったんですよ。でもプロ野球と学生野球の違いっていうんですかね…重みが違いました。僕は、村田さんと抱き合っている最後のシーン、油絵にして家に飾ってあるんですよ」
◆桑田 真澄(くわた・ますみ)1968年4月1日、大阪府生まれ。56歳。PL学園から85年ドラフト1位で巨人入り。最優秀防御率2度、最多奪三振、MVP、沢村賞を各1度。2006年限りで巨人を退団し、07年にパイレーツでメジャーデビュー。08年3月引退。21年は巨人の投手チーフコーチ補佐、22年投手チーフコーチ、23年ファーム総監督、24年2軍監督。通算173勝141敗、防御率3.55。右投右打。
◆村田 真一(むらた・しんいち)1963年12月5日、神戸市生まれ。60歳。滝川から81年ドラフト5位で捕手として巨人に入団。プロ20年で通算1134試合、打率2割3分4厘、98本塁打、367打点。ベストナイン1度。2001年オフに引退後は巨人でバッテリーコーチ、打撃コーチ、総合コーチを歴任し、16、17年はヘッドコーチ、18年はヘッド兼バッテリーコーチ。右投右打。
取材後記
「10・8決戦」はなぜ、30年経過した今でも語り継がれる試合なのか改めて考えてみた。
当時のポストシーズンは日本シリーズだけ。WBCのようにスーパースターがズラリとそろう国際試合もない。そんな時代に一流のプロが、まるで負けたら終わりの高校野球のように目の色を変えて戦った「決勝戦」だったから―が取材前の答えだった。
それは間違いではないのだろうが食い足りない。今回の取材でレジェンドたちの言葉の端々から伝わってきたのは、「勝ちたい」「負けられない」なんて生易しい感情ではなかったからだ。
斎藤氏は「負けたらどうなっちゃうんだろう」と、ふと当時の感情を吐露し、村田氏は「負けたら街を歩けないんとちゃうかと思ったよ」と物騒な言葉まで口にした。プロ対プロ、最終130戦目の“究極の決勝戦”。負けは絶対に許されなかったのだ。この恐怖心にも似た壮絶な覚悟が「10・8」を伝説の一戦にしたのかもしれない。(野球デスク・四野宮 秀和)
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