【高校野球】知徳の総監督・初鹿勇さんが86歳で死去…山梨・日本航空を甲子園初出場に導いた名将
スポーツ報知 / 2024年11月4日 16時47分
知徳の総監督・初鹿勇さんが4日、山梨・甲州市内の病院で心不全のため、死去したことが分かった。86歳だった。1976年夏、無名だった山梨の塩山商(現・塩山)監督として初の甲子園出場を果たした。1996年に、日本航空(山梨)の監督に就任。今では強豪私学の位置づけにいるが、当時は県大会1、2勝のチームだった同校を、正確性のあるノックと地道なスカウティングで強化。就任3年目にして、1998年春に同校初の甲子園出場に導き、全国1勝を挙げた。同年は春夏連続出場を果たすと、2001年夏と計3度甲子園に導いた。2003年に静岡・三島(現・知徳)の監督に就任。2013年に次男の初鹿文彦氏(49)に同校の監督を譲り、総監督に就任した。
次男の文彦監督は、塩山で直接指導を受け、日本航空時代もコーチとして関わってきた。「15歳の時から今まで、お父さんと呼べずに監督と呼んでいた。先日会いに行った時に、もしかしたらこれが最後になるのではないのかなと思って34年間、言わずにいた言葉をようやく言えました。僕にとっての恩師です」と感謝した。
初鹿さんの教え子には、1979年ドラフト3位で日本ハム入りした松本信二投手、1992年ドラフト2位で中日入りした鶴田泰投手、1998年にドラフト6位で近鉄に入団した松本拓也投手、2005年に希望入団枠で日本ハムに入団し、現在は中日スカウトを務める八木智哉投手らがいる。野手出身だったが、投手育成に定評があった。
◆初鹿 勇(はつしか・いさむ)1938年8月26日、山梨生まれ。地元の巨摩高から駒沢大に進学し、俊足巧打の外野手として電電関東(現・NTT東日本)でプレーした。監督として塩山商(現・塩山)で28年間、日本航空で8年間、三島(現・知徳)で12年間、総監督として9年間、57年にわたり指導に努めた。
◇葬儀 通夜は6日の午後6時から、告別式は7日の午後1時から行われる。会場は山梨県山梨市の送心ぬくもりホール。
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