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【齋藤彰俊ヒストリー《11》】秋山準と「スターネス」共闘 GHCタッグ奪取…11・17愛知県体育館「引退試合」

スポーツ報知 / 2024年11月11日 12時0分

三沢光晴さん(左)の「エルボースイシーダー」を食らう齋藤彰俊

 プロレスリング・ノアの「TEAM NOAH」齋藤彰俊が17日に愛知・名古屋市のドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)で引退する。対戦相手は丸藤正道に決定した。スポーツ報知では、波乱万丈だった34年あまりのプロレス人生を「齋藤彰俊ヒストリー」と題し引退試合の17日まで連載。第11回は「秋山準と『スターネス』共闘…GHCタッグ奪取」

(福留 崇広)

 2000年10月11日、愛知県体育館。齋藤は、プロレスリング・ノアに初参戦を果たした。「誠心会館」館長の青柳政司と組んで井上雅央、丸藤正道と対戦。まるで92年に新日本プロレスへ「誠心会館」が殴り込みをかけた状況をほうふつとさせる図式だった。齋藤は、2年近くのブランクを感じさせず得意の蹴りで当時、デビュー3年目に入ったばかりの丸藤を追い込んだ。最後は延髄斬り(後に技名は、スイクルデス)でノアの新鋭を沈めた。タッグを組んだ青柳は、新日本プロレスなどで実績を積んできた自分たちを三沢が「テスト」と公言したことに報道陣へ不満を表していたが、齋藤は冷静に受け止めていた。

 「三沢さんが『テスト』とおっしゃったことに不満はありませんでした。それ以上にプロレスリング・ノアのリングに上がることができる喜びの気持ちが大きかったです。この試合は、対戦相手の井上選手も丸藤選手も一緒に練習したこともないのでどういう感じになるのかわからないですから、今までにない緊張感がありました」

 試合後、三沢から「テスト」への合否を通達されることはなかった。しかし、後日、青柳を通じて次戦へのオファーが入った。そして、レギュラー参戦することになる。齋藤は、三沢の目にかなうレスラーだったのだ。それまでは遠い存在だった三沢光晴。定期参戦し間近で接した時、初対面の時に直感した「この人の下でやってみたい」という思いがより強くなっていった。

 「三沢さんの印象は、自分がプロレスリング・ノアの中に入っても変わりませんでした。というよりも、初対面の時に感じたものが日々、裏付けされていく感じでした。目先では絶対に動かない方。醸し出す雰囲気は、吸収されていくみたいなものがありました。かと言ってウェルカムでもないんです。リング上の三沢さんのスタイルと同じです。深い方でした」

 飲みに誘われたこともあった。

 「三沢さんが『ちょっと齋藤のことを知りたいから一緒に飲みたいんだよ』とおっしゃっていただいて、飲みに行かせていただきました。その時も三沢さんは、ご自分のペースで飲まれるんですけど、決して人にお酒を勧めるわけでもありません。『飲むと人柄が分かるから』とおっしゃっていました。自分でこんなことを言うと恐縮なんですが、人に対して低姿勢です。ですから、三沢さんの中で『本当の齋藤はどうなんだろう?』と思われたのかもしれません。自分も飲んでも変わらなかったので、三沢さんがどう受け止められたのかはわかりませんが、もしかしたら信用してくださったのかもしれません」

 2001年3月。プロレスリング・ノアはGHCヘビー級初代王者決定トーナメントを開催した。3月18日、ディファ有明での1回戦。三沢が指名した相手が齋藤だった。初めての一騎打ち。得意の蹴りで追い込んだが12分26秒、タイガードライバーで敗れた。結果とは別に感慨があった。

 「旗揚げしたばかりのプロレスリング・ノアにとってGHC王者を決めるトーナメントは重要だったと思います。負けてしまったんですが、その初戦で三沢さんが自分を指名していただいたことは、光栄でもありうれしかったです」

 ノアでも存在感を発揮した時、さらなる飛躍が待っていた。秋山準が率いる「スターネス」への加入だ。

 「秋山さんは、ノアの中でも他の選手とは違うピリピリ感がありました。聞いたことはないんですが、恐らく自分以外は全員がライバルでなれ合いになりたくないポリシーを抱いていたと思います。そこにひかれました。自分自身がプロレスに求めているものと同じでした」

 スターネス時代の忘れられない試合は、2002年5月6日、生まれ故郷である仙台市の宮城県スポーツセンターで行われた力皇、森嶋猛の「ワイルド2」へ挑んだGHCタッグ戦だ。異変が起きたのは力皇のDDTを浴びた時だった。

 「垂直落下で脳天がマットに突き刺されて。そのままベキベキ…って音がしました。リングサイドの4列目ぐらいの方にまで聞こえる音でした。一瞬『不随になったかな』と思ったんですが、手も動いて足も動きました。ただ呼吸ができなかったので場外へ出て息を整えました。恐らく秋山さんは自分の状態を見て試合はできないと思ったはずですが、迷惑をかけるわけにはいかないと最後まで闘いました」

 結果は22分35秒、森嶋のラリアットに齋藤が沈んだ。試合後、仙台市内の病院に救急搬送された。

 「診断の結果は、頸椎(けいつい)が損傷、胸骨が3つ割れて、あばら骨も2本やられてました。ただ、こういう時こそ『プロレスラーであるべきだ』と思って、看護師さんから『大丈夫ですか?』と聞かれても平然として『この後、どこか食べるところありますか?』とか聞いて、看護師さんが笑いながら『すごいですね』と驚かれて、『どうだ!プロレスラーはすごいだろ!』と内心、悦に入っていました(笑)」

 入院せず試合翌日には新幹線で帰宅した。重傷にもすぐにトレーニングを開始し復帰に備えた。

 「3週間後には、骨がかなりくっつき始めてお医者さんもびっくりしていました」

 復帰戦は8月24日、ディファ有明。「スターネス」の秋山、金丸義信、橋誠と組んでスコーピオ、バイソン・スミス、リチャード・スリンガー、IZUと対戦した。試合は、スイクルデスでスリンガーをフォールし3か月ぶりの再起を飾った。そして、雪辱の機会が訪れる。9月23日、舞台は日本武道館。仙台で重傷に追い込んだ力皇、森嶋の「ワイルド2」が持つGHCタッグに秋山と組んで再挑戦。22分47秒の激闘は、スイクルデス3連発で齋藤が力皇を沈め、ベルトを奪取。プロレスリング・ノアで初めての戴冠は、齋藤が箱船マットでトップ戦線に駆け上がった証明だった。

(続く。敬称略)

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