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トレンディー俳優の元祖・三上博史「ギラギラしていた」若い頃から一転「もう濁りたくない」

スポーツ報知 / 2024年11月9日 10時0分

山梨では「無為に無駄に過ごしている」と語った三上博史(カメラ・頓所 美代子)

 俳優の三上博史が「HIROSHI MIKAMI/HEDWIG AND THE ANGRY INCH【LIVE】」(26日から12月8日、東京・PARCO劇場、その他京都、福岡など)に出演する。ライブに向け「20年前に挑戦したものを今一度、皆さんに届けて揺さぶりたい」と意欲を見せるとともに、下積み時代やトレンディードラマの主役を張った頃を振り返り、今後の役者人生についても語った。(坂口 愛澄)

 ヒョウ柄のトップスにジャケットを身にまとい、颯爽(さっそう)と登場した三上。米ニューヨークのオフブロードウェーでのロックミュージカル「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」(1997年)は、2004年に日本で初演。当時、ヘドウィグ役で主演を務めた充実の日々を「すごく自由に泳ぐようにやれたし、手応えがあったんです」と振り返った。

 チャーミングでパワフル、そしてセクシーな三上のパフォーマンスは当時、大きな話題に。日本初演から20周年を記念した本作では、ロックバンドと三上によるライブバージョンでの復活となる。

 「お芝居はなく、演奏なんですけど、深みは増すはず。皆さんが何を見たいか手に取るように分かる。三上がヘドウィグを歌うというシンプルな形でもいいんですけど、それだけでは皆さんが許してくれないと思うので、進化した(ヘドウィグの)扮装(ふんそう)はします(笑い)」

 20年前に演じた以上の刺激を与えるつもりだ。

 役者だった母親は、三上が20歳の時に他界。母が最期に言った「性格俳優になってほしくないわ」という言葉が、俳優人生に大きな影響を与えた。

 「僕はきらびやかなところには縁がないと思っていたし、行きたいとも思わなかった。そんな時に母が死んだ。母が言いたかったのは『自分も売れなかった役者。皆さんに顔や名前を知ってもらえるような役者になってほしいわ』ということだと解釈して。自分にとって本意ではないけど『きらびやかな世界へ行くチャンスがあるならば飛び込んだ方がいいのかな』と思って、(テレビの世界に)胸を張って飛び込んでみました」

 20代の頃からフジテレビ系連続ドラマ「君の瞳をタイホする!」(88年)、「世界で一番君が好き!」(90年)などのトレンディードラマに多数出演し、トップ俳優に上り詰めた。

 記者の年齢が27歳だと知ると「まだ生まれてない頃のドラマばかりだよな~! 今から見てもらうなら『この世の果て』(フジ系、94年)とか暗いけれど、いいかもしれない」と真剣に考えてくれた。

 「すごく多忙だったと思われるけど、個人事務所だったのもあって、当時はあまり量産しなくて済んだ。年に1本ずつ、ドラマと映画に出て、残りの半年間はいろんな海外に行っていました」

 下積み時代には、大ヒット映画「戦場のメリークリスマス」(83年)に出演。セリフもほとんどない役柄だったが、今でも忘れられない作品の一つだという。

 「ニュージーランドの現場で日本兵のエキストラも(作品全体の)8割くらいやっていて。アメリカ兵に囲まれ、殴りかかるようなシーンがあり、そこに命をかけてた。チーフ助監督がいつも気にかけてくれて、演技においてタメを作る大切さを教わったんです。撮影を終え帰国すると、助監督から『今からTBSに来い。来週から撮影だから』って言われて、それが初の連続ドラマ『無邪気な関係』だったんです。そうやって要所要所、引き上げてくれる人が必ずいた。僕は幸せだなと思っていますね」

 米、仏などでの海外生活を経て、現在は山梨と東京の2拠点生活を送っている。

 「小説で読むような生活をしてみたかったんですよね。仕事をするのは東京で、(生活するのは)あまり雑音の入らないところ。村の人とは仲良くしていますが、観光客が来るとサッといなくなりますよ(笑い)。パリやロスにいた時は、聞くもの見るものが全て未知なるものだったけど、今は自分が生まれた日本の山の中で生活しているから、インプットは少ない日々ですね」

 普段、日本のドラマはあまり見ることがないという。自身の作品選びに関しては「線引きはなく、求められれば、どこまでもという感じです」と真剣なまなざしで語った。

 「求められる場所にどんどん行きたい。こういう国に行って、こういうことがしたいというのは、あまりなくて。演出家だったり、照明さんだったり、素晴らしい才能と仕事がしたい。そうじゃないと、モチベーションが上がらない」

 若い頃は「ギラギラしていた」。他人からどう見られ、どう評価されているかを気にしていたというが、現在は「そういった思いが全くない。これ以上は、もう濁りたくない」と力強く言葉を紡いだ。

 「残りの人生きれいに生きたい。健康寿命を考えると、役者をできる時間も限られている。やりたいことをやりたい人とやっていきたいし、『本気でやっていますよ』というのは、これからも見せていきたいです」

 ◆三上 博史(みかみ・ひろし)東京都生まれ。神奈川県立多摩高在学中に映画「草迷宮」のオーディションに合格し、芸能界デビュー。映画「私をスキーに連れてって」(87年)、フジ系連続ドラマ「君の瞳をタイホする!」(88年)などに出演。今年1月には、寺山修司没後40年記念公演「三上博史 歌劇―私さえも、私自身がつくり出した一片の物語の主人公にすぎない―」で主演。

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