【齋藤彰俊ヒストリー《13》】三沢光晴さん…11・17愛知県体育館「引退試合」
スポーツ報知 / 2024年11月13日 12時0分
プロレスリング・ノアの「TEAM NOAH」齋藤彰俊が17日に愛知・名古屋市のドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)で引退する。引退試合は、丸藤正道との一騎打ちに決まった。スポーツ報知では、波乱万丈だった34年あまりのプロレス人生を「齋藤彰俊ヒストリー」と題し引退試合の17日まで連載。第13回は「三沢光晴さん…」
(福留 崇広)
2009年6月13日、広島県立総合体育館。GHCタッグ王者だった齋藤は、バイソン・スミスと組んで挑戦者チームの三沢光晴、潮崎豪と対戦した。午後8時10分過ぎ、メインイベントのゴングが鳴った。すべての技を受け切る三沢のすごさは、体に染み込んでいる。これまでの闘いと同じように蹴り、投げを三沢、潮崎にたたき込んだ。25分を経過。試合が佳境を迎える。齋藤が、三沢の背後に回る。バックドロップで投げた。
「あの試合で、なぜだかわからないんですが唯一、鮮明に今も覚えているのは、バックドロップで投げた時です」
あれから15年。バックドロップの記憶は鮮明だった。それは、異変とも言える感触だった。
「通常、バックドロップは持ち上げる時が一番、相手の重さを感じます。これは、一般の方々が物を持ち上げる時もそうですよね?何かを持ち上げる時って上げる時に一番力を使います。ただ、持ち上げてしまえば、それほど力はいらなくなると思います。バックドロップも同じで上げる時は、すごく力がいるんですが、抱えて上げてしまえば、そのまま勢いがついて投げられます。だけど、あの試合では、三沢さんを上に上げた時にぐっと重くなったんです。それが何なのか?なぜなのか?いまだにわかりません。上で止めたのであれば重くなることはあります。ただ、あの時はそうじゃなくそのまま投げました。この感触は、後年、いろんな人に聞いても『ありえない』と言われました。あの感覚が何だったのか?いまだにわかりません。あの重さは、今もずっと鮮明に覚えています」
異変を覚えながら投げたバックドロップ。一発の技であの三沢を倒せるはずはない。齋藤は、立ち上がることを確信し次の技を構えた。
「バックドロップをリングの真ん中で放ちました。その後にニュートラルコーナーへ行きました。三沢さんが立ち上がったらラリアットをいこうと思っていたんです」
しかし、三沢は立ち上がらない。倒れたままだった。
「コーナーでラリアットを出そうと三沢さんが立ち上がるのを待っていました。ただ、立ち上がらないので『あれ?え?』と思いました。レフェリーの西永さんが回復を待っているのかもしれない、とも思いました。ただ、明らかに空気感が違うことを感じました」
西永秀一レフェリーが倒れた三沢に声をかける。立ち上がらない。
「通常の試合でダメージ受けた選手にレフェリーは『大丈夫か?』と声をかけますが、この時はまったく違う雰囲気でした。ただ、自分は、選手権試合の途中で『大丈夫ですか?』とは聞けませんでした」
若手選手、トレーナーがリングに入り三沢へ心臓マッサージを施した。AEDによる蘇生も試みた。
「リングシューズを脱がしていたり、明らかに非常事態が起きたことを感じました。その後、担架で運ばれる場面しかリングで起きたことは、動揺であまり覚えていません」
リングには、試合を終えた佐々木健介、高山善廣らトップ選手も駆けつけた。満員となった2300人の観衆からは「三沢コール」と悲鳴が交錯した。齋藤は、ぼう然と立ち尽くすだけだった。試合は、27分03秒、TKO勝利とアナウンスされた。救急隊が駆けつけ三沢は広島市内の病院へ救急搬送された。
「自分もすぐにタクシーで病院へ向かいました。『何事もないように…』とひたすら祈っていました」
集中治療室では、懸命の救命措置が取られた。齋藤は、廊下で意識の回復を祈った。そして医師が現れ、告げた。
「お亡くなりになられました」
2009年6月13日。午後10時10分。46歳の若さで三沢光晴は急逝した。死因は「頸髄(けいずい)離断」だった。
「先生から宣告された時は、『信じられない…これは、目をつぶったら夢であってほしい…』という切実な思いでした。あの三沢さん…です。尊敬している方…です。信じられない、という思いしかありませんでした。いきなりものすごい衝撃と現実をたたきつけられました」
あふれる動揺。病院内で広島県警による事情聴取を受けた。齋藤のバックドロップを受けた直後の死。警察は事件性の有無を調べた。
「すべてをお話ししました。そして、事件性はないということを警察の方が判断してくれて、自分はお医者さんの許しを受けて朝まで三沢さんと同じ部屋にいさせてもらいました」
リング上の事故死と警察は判断した。病室に入るとわずか数時間前、リングで対戦した三沢は息を引き取っていた。2000年。プロレスリング・ノアへの参戦を直談判した時の初対面から9年。リング内では、すごみのある受け身を教えられ、リング外では、酒席で人間としての大きさを感じ「この人の下でやりたい」と心から尊敬してきた。齋藤は、ひたすら祈った。
「人は、死亡宣告を受けても24時間以内は生き返ることもあると聞いていました。実際、自分の親戚でも宣告後に息を吹き返した人がいました。だから『何とか…何とか…帰ってきてください』と思いながら朝まで過ごしました」
気が付けば、日付は6月14日になっていた。夜には福岡市内の博多スターレーンで試合があった。スタッフに「今日も試合があるから」とホテルへ戻るように促され齋藤は、病院を出た。ぼう然としながら広島の街を歩いた。太陽が昇り始めた。夜が明けた時、市内を流れる川にかかる橋にたどり着いた。
(続く。敬称略)
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