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【評伝】北の富士さんは親友の「玉乃島」と同時に横綱昇進、「北玉時代」を築く 新弟子時代は力道山に憧れたことも

スポーツ報知 / 2024年11月21日 0時29分

北の富士勝昭氏

 北の富士さんの初土俵は1957年初場所。横綱・千代の山が現役最後の優勝を飾った場所でもある。千秋楽後に祝勝会が行われ、学生服姿の新弟子は下足番をしていた。そこに現れたのがプロレス界でスーパースターになっていた力道山。「お前、いくつだ?」と話しかけられ、「14歳です」と返答すると500円の小遣いをくれた。力道山はビシッと白いカシミヤの上着を着こなしており、後に「おしゃれな身なりといい、正直プロレスラーを夢見た」と告白したこともある。

 初土俵からのしこ名は本名の竹沢だったが、竹美山とした後、三段目の60年秋場所から「北の冨士」(後に北の富士)に改名した。入門当初は細身だったため伸び悩んだが、次第に頭角を現し、63年春場所で新十両。同年九州場所では、15日制定着以降3人目(当時)なる十両全勝優勝の快挙を達成した。

 64年初場所で幕内に昇進すると、同場所で新入幕力士としては最多となる13勝をマーク。翌春場所には新三役の座を射止めるなど注目を集めた。66年名古屋場所後には大関昇進。その後、部屋付きの九重親方(千代の山)が出羽海部屋からの分家独立を申し出て破門されたのに同行し、九重部屋に移った。

 かち上げて左を差しての速攻、強烈な上手投げや外掛けを得意とした。70年初場所で連覇を果たし、玉乃島(昇進と同時に玉の海に改名)とともに横綱に昇進した。71年春から秋場所まで両者は交互に優勝を重ね、親友でありライバルでもある2人の関係は「北玉時代」と呼ばれ、優勝10度。大相撲ファンの記憶に残る名横綱だった。

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