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川崎FW小林悠が語った今季限りで退任の鬼木達監督との15年間「幸せで忘れられない、大切な時間」…インタビュー前編

スポーツ報知 / 2024年12月4日 5時0分

2017年、初優勝を決めシャーレの模様入りの桶を掲げる小林悠

 J1川崎で8季指揮を執り、歴代最多4度のリーグ優勝を含む国内タイトル7冠に導いた鬼木達監督(50)が、8日の福岡戦(U等々力)でラストマッチを迎える。今季限りで退任する名将と、コーチ時代を含めてルーキーイヤーから15年ともに戦ってきたFW小林悠(37)が、このほどスポーツ報知のインタビューに応じ、恩師についての思いを語った。(取材・構成=後藤 亮太)

* * * *

 どの瞬間、どの場面を思い返しても、鬼木監督とともに歩んできた15年間は、小林にとって特別だった。

 「いや、もう、幸せでしかなかったですね。僕の中で、幸せで、忘れられない、すごく大切な時間だったなと思います」

 特別な絆で結ばれてきた。小林が10年に拓大から川崎に加入した時、同じタイミングでコーチに就任したのが鬼木氏だった。前年の右ひざ前十字じん帯断裂からプロ入り直後はリハビリ生活が続いたが、5月中旬から練習に合流すると、「鬼木コーチ」は、全体練習後の居残り練習はもちろん、遠征に帯同しない時の数人で行う残留練習も常に見てくれていた。

 そのシーズン中のこと。FWに故障者が続出し「チャンスが回ってきたかな」と、期待していた試合で、メンバーから外れたことがあった。居残り組でミニゲームを行った後、こみ上げてきたのは「悔しさ」。どこにぶつけたらいいかわからない感情を、真っ正面から受け止めてくれたのが鬼木監督だった。

 「鬼さんと(当時の)今野コーチに話を聞いてもらっているうちに、なんか悔し過ぎて、涙を流しちゃって。それでも、『続けていればきっとチャンスは来るから』と、フォローしてくれて。それはすごく覚えています。鬼さんは、本当に選手としっかりコミュニケーションを取ってくれる。1年目だったけど、兄貴分というか、すごく話しやすかった」

 その言葉は支えとなり、メンバーに入るために練習に明け暮れ、「FWは結果。絶対に自分が一番決める」と、貪欲にゴールを目指し続けた。その結果、2年目の11年からはレギュラーをつかみ、同年に12ゴール。「たくさん決められるようになるとすごく一緒に喜んでくれた」と、歩みをともにしながら、エースへの階段を上がっていった。

 そして、師弟の絆がさらに強くなったのは17年。コーチから昇格し、「鬼木監督」が誕生すると、小林は「主将」を託された。

 「鬼さんと(中村)憲剛さんが最初に話をして、その後に『今年は悠をキャプテンにしようと思う』と言ってもらって。僕個人もこのチームがタイトルを取るために先頭に立って引っ張っていかないといけないと思っていたので、『やらせてください』と。コーチと選手の関係の中でも信頼関係ができていたので、言われた時は嬉しかったですし、すぐやろうって思いました」

 開幕戦の大宮戦(2〇0)では先制点を決めて、鬼木監督に初得点&初勝利をプレゼントした。

 「とにかくゴールで引っ張りたかった。鬼さんの(通算)100勝【注】の時も俺だったかな。そういう(節目の)時は自分が決めたいって今でも思っているし、鬼さんへの感謝を形に表せるのがゴールだと思っていたので。みんなより、その気持ちは強かったと思うし、それが形になったのかな」

 しかし、順調なスタートを切ったかのように思えたが、自我を貫くことを必要とされる「FW」と、チームの和を重んじる「主将」との間で葛藤し、第3節から4戦連続で無得点が続き、その後の第11節(5月14日)からは5戦連続無得点。1か月以上、暗いトンネルに迷い込んだ。

 「自分がキャプテンをやったら勝手に何でもうまくいくと思っていたけど、ふたを開けたらつらいことも多かったし、きつかったですね。チームが勝てない時に先頭に立ってスタジアムを回る時とか、キャプテンって重いなって。憲剛さんはずっとこれをやっていたのかと。簡単じゃないなと思いました」

 ただ、そこでも手をさしのべ、出口へと導いてくれたのが鬼木監督。あるひと言で重圧から解放された。

 「『悠が背中で見せることが一番大事だ』と言ってくれて。僕がチームのことを考えれば考えるほど、FWとして必要なものがなくなっていくというか、やっぱりエゴを出さなきゃいけないところもある。鬼さん、憲剛さん、いろいろな人に支えられて、やっぱりゴールだと自分の中でも整理できた。チームのことはいい意味でみんなに任せようじゃないですけど、ゴールを取ることが、自分がキャプテンとしてやるべきことだと整理できてからは、頭がスッキリして、チームの勝ちが増えていった。それが良かったのかなと思います」

 第17節の7月1日の神戸戦で復活の2ゴールを決めると、そこから19試合で19得点。最終節の大宮戦(5〇0)ではプロ入り初のハットトリックを達成し、大逆転で悲願の初優勝。同年のMVPと得点王(23得点)も受賞した。

 「(17年の優勝は)本当に奇跡だったなと思いますけど、本気で優勝したいと願っていたので、やっぱりめちゃくちゃ嬉しかったし、あの時の感動を超えることはもうないなって今でも思います。鬼さんとも抱き合って喜んだ記憶しかないです。他の選手に替えられてもおかしくない状況でも、ずっと使ってくれて、信頼をすごく感じていたので、結果で応えられてよかったなって思いました」

 (後編へ続く)

 【注1】21年の第17節の鹿島戦で、途中出場の小林が1―1の後半49分に決勝点を決めた。J1新記録となる開幕からの連続無敗記録を20(16勝4分け)に伸ばした一戦で鬼木達監督は156試合でJ1通算100勝を達成。西野朗氏の180試合を抜き、歴代最速となった。

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