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忠臣蔵「赤穂浪士討ち入り」の日に東京・両国の吉良上野介邸跡地で「義士祭」開催!赤穂事件から321年、本所松坂町公園で71回目の供養

スポーツ報知 / 2024年12月14日 14時11分

71回目の「義士祭」で赤穂浪士四十七士と吉良家臣二十士を供養

 忠臣蔵のモデルとなった江戸時代の「赤穂浪士討ち入り」があった14日、舞台となった東京・墨田区両国にある吉良上野介邸跡地の本所松坂町公園で「義士祭」が開かれた。牛嶋神社の宮司による祝詞奏上などが行われ、赤穂浪士四十七士と吉良家臣二十士を供養した。

 この義士祭は両国連合町会主催により開催され、今年で71回目。赤穂浪士討ち入りがあった元禄15年(1703年)から321年が経ち、来賓として訪れた墨田区・岸川紀子副区長は「1950年からここを守ってきていただいた地域の皆様の苦労を思うと胸が熱くなる。心より御礼申し上げる」とスピーチ。主催者の両国連合町会・小池喜幸会長もあいさつを行い、12月の始めに、赤穂浪士らが葬られている東京・港区の泉岳寺に手を合わせに行った際のエピソードを紹介。海外からの観光客も含め大勢が訪れていたが、一方で「その後に吉良様の東京の菩提寺で、家臣二十士のお墓もある萬昌院功運寺(東京・中野区)に行ったら、お線香は1本もなかった。ここで(義士祭を)やるのもそうですが、年に一度には皆さんでお参りに行けたらと思う」と呼びかけた。

 吉良上野介の屋敷はかつて約8400平方メートルもの広大な屋敷だったが、現在の公園は約98平方メートルで当時の86分の1。1934年に地元町会の有志が遺跡を後世に伝えようと、旧邸跡地の一画を購入して東京都に寄贈。50年に墨田区に移管され、義士祭も始まった。公園を取り囲む石壁は江戸時代の高家の格式を表す「なまこ壁」で再現され、園内には吉良の座像も安置。赤穂浪士と戦った家臣たち二十士を悼む石碑もある。

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