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高橋藍、2025年の抱負は「挑」 年男として迎える巳年「いろんなことに挑戦していきたい」…独占コラム「百花繚藍」

スポーツ報知 / 2024年12月26日 5時0分

高橋藍(カメラ・岩田 大補)

 バレーボール男子のパリ五輪代表の高橋藍(らん、23)=サントリー=が、年男として迎える巳(み)年の2025年へ向けて誓いを立てた。毛筆で「挑」と力強く記し「挑戦できる環境があれば、いろんなことに挑戦したい」と来年の抱負を掲げた。連載コラム「百花繚藍(ひゃっかりょうらん)」の第9回は、2度目の五輪となった今夏のパリ大会や、初めて国内の大同生命SVリーグに参戦した24年をプレーバック。年男として更なる飛躍も誓った。

 来年は年男です。(巳年にちなみ)子供の頃からバレーボールもそう、何をするにも諦めないし、妥協してしまった自分が大嫌いで、常に全力でやり切ってきました。

 来年の抱負は「挑」。選手として、人として成長したいので、挑戦できる環境があれば、いろんなことに挑戦していきたいという思いを込めています。さまざまな経験を通して、レベルアップすることはブレずにやっていきたいです。

 同じ(2001年生まれの)“01世代”では、年始にバスケットボールの河村勇輝選手と対談しましたね! 勇輝の活躍は見ているし、米国に行ってから連絡も取りました。「(契約)おめでとう!」「アメリカどう~?」って。勇輝も僕が若い頃からイタリアに行っていたことに「刺激を受けていた」と言ってくれていました。今回、僕は日本に帰ってきて、勇輝は米国に挑戦して入れ違いになったけど、刺激し合ってスポーツを盛り上げていく仲間。自分自身もイタリアに行っていた時に海外の選手との身長の差を感じることもあって、勇輝もそういった苦労はあると思うけど、その壁をぶち壊して、日本人の素晴らしさを見せつけてほしいです。お互い頑張ろう!

 年男と言えば、12年後は36歳か…。家族はいてほしいし、パパになっていたいな。でもバレーボールは続けていたいです。この先、何があるか想像もつかないけど、膝の軟骨がなくならない限りは、やり続けたいなと、今は思っていますね。

 2024年は五輪があった年。自分の中で一番大きかったのは、パリ五輪と初めて日本のリーグに挑戦したことです。僕はイタリアで3シーズンプレーし、イタリアでプレーを続けた方が良かったとか、いろんな声は聞こえていました。でも、自分は自分を信じているし、新しい挑戦は自分にとっては大事なことでした。いろんな挑戦が、唯一無二の選手になるために自分の経験や成長につながると思うし、バレーボールを夢のある競技にしていくのにもつながると思っています。

 近況は日本に帰ってきて、また(趣味の)アコースティックギターを始めました。暇さえあればギターに触ってリフレッシュしています。最近はtuki.さんの「晩餐(ばんさん)歌」を弾いたりと充実しています。

 年末年始もバレーですね。来年1月のオールスター戦にも選んでいただきました。日本代表も、同い年の水町(泰杜)選手=名古屋=たちもいるので、楽しみ。(地震や豪雨で被害を受けた)石川県で開催されます。少しでもバレーボールの楽しさや勇気を届けられるように、何より僕自身も楽しみながらプレーしたいです。

 ◆高橋 藍(たかはし・らん)2001年9月2日、京都市生まれ。23歳。小学2年でバレーを始め、京都・東山高3年時の19年度に全日本高校選手権で優勝。日本代表初選出は20年2月。同年4月に日体大に進み、2年時の21年11月にセリエAのパドバと契約し、23―24年シーズンはモンツァでプレーオフ準優勝。24―25年シーズン、日本のサントリー入り。五輪は21年東京、今夏のパリ大会で7位。188センチ、83キロのアウトサイドヒッター。

 ◆優勝&MVP

 22日の全日本選手権決勝で藍率いるサントリーは、前回覇者・大阪Bを3―0で破り、14年ぶりの頂点に立った。チーム2位の10得点を挙げた藍はMVPにも輝いた。「優勝したい気持ちは強かった。懸けている思いがあった」とサントリー入り後、初タイトル獲得を喜んだ。2―0の第3セット。マッチポイントでは、スパイクを打つふりをしてトスを上げる華麗な「フェイクセット」も披露し、会場を沸かせた。

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