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【昭和の箱根駅伝】今は使われていないルートを走る五輪ランナー…昭和32年の8区

スポーツ報知 / 2025年1月1日 22時40分

第33回箱根駅伝 平塚駅北口前の国道1号線を走る日大の川島義明(1957年1月3日)

 2025年は令和7年だが、昭和(1926―1989年)で数えると100年になる。"昭和100年"の節目を記念して、昭和の箱根駅伝を写真で振り返る。

* * *

 3区(8区)が海岸沿いの134号線を走るようになったのは、1961年(昭和36年)大会から。それまでは藤沢橋を右折し旧東海道の国道1号線を下っていた。1957年(昭和32年)、第33回大会の復路8区で平塚駅近くの商店街をトップで走るのは、日大の川島義明。前年12月のメルボルン五輪で5位入賞した人気選手を見ようと、梅屋百貨店(左奥)の屋上にも観客が見える。

 当時の報知新聞は「懸念されたメルボルンでの疲労を感じさせない元気さと自信をみなぎらせる見事なピッチで、2位中大の渡辺をぐいぐい離し、強気の中大・西内監督に『もうだめ』といわせた。日大の優勝はなかば決まったも同然だった」と、その実力を伝えている。

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