県立校から一般入試で明大入学 4軍から東京六大学ベストナイン&首位打者…ENEOS・宮沢健太郎監督の“叩き上げ野球人生”とは
スポーツ報知 / 2025年1月7日 21時0分
都市対抗で最多の優勝12度を誇る社会人野球の名門・ENEOSの新指揮官に、宮沢健太郎監督(44)が就任した。長野の県立校・岡谷南から一般入試で明大に進学した叩き上げ。熱意と努力で切り開いた、自身の野球人生について聞いた。(加藤 弘士)
一流選手が続々と生まれた“松坂世代”の宮沢監督。東京六大学リーグではベストナインに首位打者、社会人でも日本代表にベストナイン、都市対抗の首位打者とその経歴は輝かしい。しかし、エリート街道を突き進んできたわけではないという。
「母校は甲子園に出たことのない県立校なんですけど、地元は野球熱があって、結構野球に力を入れていたんです。過去、私の前に4人、明治の野球部OBがいまして。そのつながりで、夏の県大会前には明治の現役選手が来て、1週間ぐらい教えてもらった時期があったんですよ。それで『明治のユニホームってかっこいいな』と思って、六大学で野球をやることに憧れて。大学で野球をやるんだったら、強いところでやってみたいと。そのつながりで一般受験で明治を受けて、合格したんです」
甲子園球児がハイレベルな競争を繰り広げるチーム内で、どのように頭角を現したのか。
「4軍ぐらいからのスタートだったんですよ。ただ、入った以上は神宮に立ちたいと思ってやっていました。『レギュラーは無理だな』と思っていましたが、ベンチ入りぐらいはしたいと。親やOBにもいい姿を見せたいと思って、必死でやりました。練習しないと自分の存在は覚えてもらえない。覚えてもらえないと、使ってもらえないので」
野球への真摯な姿勢が評価され、最終学年になると当時の別府隆彦総監督から主将に指名された。4年春のシーズンに打率4割で首位打者に輝き、外野手のベストナインに選出された。
「最初はプレーヤーというより、キャプテン業を頑張れっていうような主将だったんです。でも役職を与えられたことで、試合に出て活躍したいという思いが強くなりました。よりいっそう練習にも熱が入ったんです」
下級生の頃は卒業後について、地元に帰っての一般就職を考えていたという。しかし4年春の活躍で、社会人野球で勝負したいという思いが強くなってきた。若き日の宮沢監督は自らアグレッシブに動いた。
「社会人野球って大学3年ぐらいに活躍した選手へ、どんどん声をかけるじゃないですか。自分は4年春が終わった時点からだったんで、どのチームも枠が結構埋まっていて。なので手当たり次第、明治から社会人に行った1つ上の先輩方に電話したんですよ。『テストでもいいので、行かせてもらえませんか?』って。新日本石油には1年上の先輩がいたので、練習参加ができて。後に監督を務める若林重喜さんがヘッドコーチで、『取ろう』と言ってくださったらしいんです。その縁で決まりました」
2003年入社。2年目の2004年からは3年連続で都市対抗予選敗退と苦しんだ。東京ドームへの道のりは険しかった。負けることの怖さを身にしみて経験した。
「その時は、都市対抗優勝なんて見えていませんでした。当時は三菱ふそう川崎、日産自動車、東芝に予選でやられて、彼らが東京ドームで勝ち上がっていく。同期だと日産の梵(英心)、ふそうの渡辺(直人)らが1年目から出ている。すげえ舞台でやってるな~と羨ましく見ていたんですけど、そういうところで戦えるイメージが全くできてなかったんです」
転機は2006年、大久保秀昭監督(現チームディレクター)の就任だった。この年から7年間にわたって、キャプテンを務めることになった。
「チームがどんどん変わっていって。田沢(純一)も成長していって2008年の都市対抗で優勝して…どん底を味わった中で、2008年に優勝できたっていうのが現役時代の一番大きな思い出です。大学時代の4年間は、優勝したことがなかったので。チームで日本一になって、優勝旗をもらうっていう経験は初めてでした」
2013年秋、11年間にわたる現役生活に別れを告げ、社業に専念した。営業マンとして勤務した経験も現在、チームをまとめる上で大きな財産になっている。
「この野球部へどれだけの方が応援してくださってるのか、どうやって観客の方々を呼んでるのか、社員の方々の苦労が分かったんです。応援してくださる方も8月という一番稼ぎ時に、わざわざ時間を割いて下さって、東京ドームに足を運んでくれる。人が動くところを見られたことが、まず大きいと思ってます」
「あと自分は、野球で培ったもので社業でもやれるということを証明しなきゃいけないと思ってたんです。現役で11年間、社会人野球をやって、本業に関しては同期から11年、遅れてるわけです。それでも社業である程度できるってなれば、やれるヤツはもう11年ぐらい野球をやってもいいよってなるし、そっちの方がチームのためになるじゃないですか。それを証明しなきゃいけない。社会人野球でやった11年も濃厚な時間だったし、それは社業でも生きると証明したいと思って、頑張っていたんです。営業ではいろんな世代の方々と接して、視野が広がったと思っています」
昨年12月1日、ヘッドコーチから監督に就任した。理想とするチームはどんな色か。
「ENEOS野球部という文化や伝統がある。基本の野球スタイルは変わらないと思っています。大事にしていきたいのはチーム全体で勝ち上がるということ。チームが一つになることです。同じ方向を向きたい。いいチームを作って、勝つ方向にベクトルを向けたいと思っています」
◆宮沢 健太郎 1980年7月26日、長野・岡谷市生まれ。44歳。岡谷南を経て明大では4年時に主将。4年春に打率4割で首位打者。外野手のベストナインを獲得。03年新日本石油(現ENEOS)に入社。06年から7年間、主将を務める。2008年の都市対抗では打率4割3分8厘で首位打者。09年のW杯日本代表。08年と12年に三塁手で社会人ベストナイン。13年秋に現役引退し、社業に専念。24年1月からヘッドコーチ。同年12月に監督就任。175センチ、75キロ。右投左打。
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