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1969年スーパーボウルのヒーロー、J・ネイマス氏は母親の進言でカブス入りを断念していた

スポーツ報知 / 2025年1月13日 7時20分

 米大リーグ、公式サイトが12日(日本時間13日)、1969年の第3回スーパーボウルを勝利に導いたニューヨーク・ジェッツのQBだったジョー・ネイマス氏を特集。高卒時にカブスから5万ドル(現在では約50万ドル)のオファーがあり、もしかしたらカブスで活躍してかもしれなかった、という。

 ピッツバーグ郊外生まれのネイマス氏はパイレーツ・ファンとして育ち、中でも通算3000安打をマークしたロベルト・クレメンテ外野手が憧れだった。ビーバーズフォール高時代から野球とともにアメリカン・フットボール、バスケットボールでも活躍し注目されていた。野球選手として彼に注目していたのが野茂英雄投手がデビューの際にドジャースの監督だったトミー・ラソーダ氏だった。ドラフトのない時代、ドジャースはオファーしなかったが、4球団がネイマス氏にオファー。カブスが最高額の5万ドルの契約金を申し出た。

 ネイマス氏はカブスと契約したかったが、運動能力が高く多くの大学から奨学金の申し出もあった。家族会議を行った時に、女手一つで育てた母親の「大学に行って欲しい」との願いを受け入れアラバマ大に進学。

 同大学で一気に全米を代表するQBとなったネイマス氏は、AFL(当時は2リーグに分かれていた)のジェッツが1965年のドラフトで全体1位で指名(同年のNFLドラフトではカージナルスが全体12位でネイマス氏を指名していた)。ネイマス氏はプロボウルに5回選出され、第3回スーパーボウルではボルティモア・コルツとの対戦で不利を予想された戦いに勝ちMVPに輝いた。派手な言動で現役当時のニックネームは“ブロードウェイ・ジョー”としてNFLを代表するQBとなり、1985年にはプロフットボール殿堂入りを果たした。

 2018年6月には因縁のカブスに招かれ、生まれて初めてリグレーフィールドを訪れ始球式を行った。彼は「スタジアムのそばにあるアーニー・バンクスの像にただただ驚嘆した」。ネイマス氏が野球を続けていれば、ネイマス氏と1950年代後半から70年代に活躍したバンクスとチームメートになっていたかもしれないし、1945年を最後に2016年までワールドシリーズ出場の無かったカブスの歴史を変えていたかもしれない。

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