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「相撲人生を2回楽しむいい機会になった」照ノ富士 波乱万丈14年間「一番緊張した。そわそわした。ワクワクした」思い出の一番

スポーツ報知 / 2025年1月18日 5時0分

記者会見で現役引退を表明した横綱・照ノ富士(カメラ・宮崎 亮太)

 大相撲で優勝10度の第73代横綱・照ノ富士(33)=伊勢ケ浜=が17日、現役引退を発表し、東京・両国国技館で引退会見を行った。大関から一時は序二段まで転落し不屈の闘志で復活。昨年の名古屋場所で史上15人目の2ケタ優勝を遂げたが、横綱在位21場所で休場は13度と故障に苦しみ「激しい相撲人生だった」と回想した。同日の日本相撲協会理事会で引退と年寄「照ノ富士」の襲名が承認され、今後は親方として後進の指導に当たる。自身のように「自分に負けない力士を育てていきたい」と意欲を燃やした。

 不屈の横綱が激動の力士人生に幕を下ろした。19歳で初土俵を踏み、両膝のけがや内臓疾患の影響で大関から一時は序二段まで転落しながら、奇跡的な復活で最高位に上り詰めた。波乱万丈の14年を「本当に激しい相撲人生だった。悔い? 全く。『もうちょっと』という気持ちはない。逆に言うと、やりすぎたかな。相撲人生を2回楽しむいい機会になった」と涙を見せずに語った。

 引退を意識したのは12日の初日だった。両膝痛や糖尿病による2場所連続全休明け。小結・若隆景の肩透かしにわずか1秒で前のめりに転がされた。「あれだけあっさり前に落ちるというのは、体もついていかなくなったのかな」と限界を悟った。その日の夜に師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)に「もう1回負けたら引退したい」と伝えた。家族にも「これ以上、相撲を取れる体じゃない」と打ち明け、13日の2日目に妻や長男らを国技館に呼び寄せた。

 場所前から右膝や腰の痛みで満足に稽古ができず、「自分の中でできる限りを尽くしてきたつもりだが、思い通りの相撲ができなくなった。これ以上、中途半端な気持ちと体で土俵に立つべきじゃない」と腹をくくり、4日目の翔猿戦で2敗目。結果を受け止め、潔く土俵に別れを告げた。

 21年名古屋場所後に横綱に昇進。すでに満身創痍(そうい)で、「長く相撲を取れないだろう」と覚悟した。横綱在位21場所で、休場は13度と故障との闘いだった。それでも「横綱を張ってる以上は全力を尽くす」と土俵に上がった。21年秋場所後に横綱・白鵬が引退してから3年以上にわたって一人横綱の重責を担い、体力も気力も尽きた。「相撲はただのスポーツではなく、国技として日本人の誇りを奮い立たすためにあるもの。だからこそきれいに美しくなければ」との気概で角界を支えた。

 思い出の一番は、序二段に転落し迎えた19年春場所初日の若野口戦。逆境に燃える照ノ富士らしく「自分に嘘をつかない。自分に負けるな」と奮い立たせた。

 横綱は現役引退から5年間はしこ名のまま親方になれる資格があり、今後は「照ノ富士親方」として伊勢ケ浜部屋で後進を指導する。今年7月には伊勢ケ浜親方が65歳の定年を迎えることもあり、将来的には同部屋を継承するのが自然な流れだ。「自分に負けない力士を育てていきたい。そういう力士は必ず強くなる」。自身の経験を伝えていく。(林 直史)

 ◆照ノ富士に聞く 

―波乱万丈の14年間の現役生活を振り返って。

 「たくさんの方に支えられてきたなと実感している」

 ―師匠の伊勢ケ浜親方はどういう存在か。

 「親方がいないと、照ノ富士という力士を何も語れない。親方の教えを言ったこと以上にやるという思いでやってきた。褒めてもらいたいという思いも常にあった」

 ―横綱とは。

 「力士の見本にならなきゃいけない。目指さなきゃいけない。そういう位置なので。求められることもたくさんあると思うけど、なればそれを感じ取れる。言葉で表せないけど、横綱は横綱」

 ―思い出に残る一番。

 「一番一番に全力を尽くしてきた。あえて言うなら(大関から転落して)一番最初に序二段の土俵に立った(19年春場所)その相撲。相撲人生で一番緊張した。そわそわした。ワクワクした」

 ―家族の存在は。

 「奥さんと出会って12年間。いい時も悪い時も一緒にいてくれた。ちょっとでも自分がサボりたい時も、その気持ちを横で奮い立たせてくれた。感謝しかありません」

 ―常々、新しい横綱の誕生を願っていた。今後の角界への期待。

 「若い力も多く出てきている。これからのみんなの活躍が楽しみでしょうがない」

 ◆照ノ富士 春雄(てるのふじ・はるお=本名・杉野森正山)1991年11月29日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。33歳。伊勢ケ浜部屋。鳥取城北高から間垣部屋(当時)に入門し、11年技量審査場所で初土俵。14年春場所に新入幕。15年夏場所の初優勝後に大関昇進も、両膝のけがなどで序二段まで転落。20年7月場所で再入幕。21年名古屋場所後に第73代横綱に昇進し、同8月に日本国籍を取得。幕内優勝10度。通算成績は523勝275敗231休。三賞は殊勲賞、敢闘賞、技能賞を各3度獲得。得意は右四つ、寄り。192センチ、176キロ。既婚。

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