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「初代タイガーマスク」を作り続けて22年…「マスク職人」が明かす「佐山サトル」秘話【中】「目の前でかぶってくださり、ほめてくださいました」

スポーツ報知 / 2025年1月19日 12時0分

プロレスマスク職人の中村ユキヒロさん

 初代タイガーマスクの佐山サトル(67)が主宰する「ストロングスタイルプロレス」(SSPW)が今年、旗揚げ20周年を迎える。

 同団体は、佐山が新日本プロレスで空前の国民的ブームを起こした初代タイガーマスク時代に追求した「ストロングスタイル」の復興を掲げ2005年6月9日に後楽園ホールで「リアルジャパンプロレス」として旗揚げした。19年3月にSSPWへ改称し現在に至る。

 20年の歴史の中で“過激な仕掛け人”新間寿会長(89)を筆頭に“令和の新仕掛け人”平井丈雅代表(60)ら様々なプロレス関係者が佐山の理想を支えてきたが、中でも旗揚げから佐山のマスク「タイガーマスク」を作り続けている「マスク職人」がいる。

 プロレスマスクを製作・販売する「プロレス・マスク・ワールド」(東京・千代田区)を主宰する中村ユキヒロ代表(58)だ。2003年から「初代タイガーマスク」のマスクを作り続けて今年で22年。中村代表がプロレスマスク製作への情熱、佐山への思いなどを明かしてくれた。WEB報知では「マスク職人が明かす『佐山サトル』秘話」として18日から3日連続で連載。2回目は「初めてのマスク作成」する。

 タイガーマスクに憧れ続けた中村さんだったが1983年8月に突如、引退する。まったく予想も付かない事態に心の中は、空っぽになった。失意を埋めようとひとつの思いを抱く。

 「タイガーマスクのマスクが欲しくなったんです」

 当時、タイガーマスクの覆面を製作していたのは、日本人初のプロレスマスク職人である豊嶋裕司さんが1980年に創業した「OJISAN企画」だった。

 「OJISAN企画に電話をして好きだった『サードモデル』を譲ってもらいました」

 金額は3万円だった。

 「高校生にとっては高額でした。だけど、どうしても欲しかったから生活指導の先生に相談したら『俺が貸してやる』とタイガーマスクを買うために先生が3万円を貸してくれたんです。本当に理解のある先生で今も感謝しています」

 自宅に届いた「サードマーク」モデルに感激はした。しかし、欲しかったのは83年8月4日の寺西勇との「ラストマッチ」で着けたマスクだった。

 「よく見ると届いたモデルは、ラストマッチの一個前のモノでした。マスク全体のボディー、模様の配置も違いました。どうして違うのかを研究すると、同じサードモデルでも僕に届いたマスクと寺西戦のマスクでは、作った方が違ったんです」

 どうしても欲しかったのは寺西戦だった。

 「だったら自分で作るしかない、と決めました。そこから、自分で型を取って手縫いをして黄金のラメ生地も手芸センターで買って自分で作りました」

 マスクを作ったことなどない。洋裁の経験もなかった。型紙を作り、ミシンは、服に名前を入れる「ネーム店」へ行って借りた。縫合などは、届いたマスクを参考にした。すべて独学だったが、毎週金曜夜8時、テレビで闘うタイガーマスクの「マスク」を食い入るように見つめた日々があった。朝から晩まで「タイガーマスク」を思った蓄積がマスク作りに役立った。頭の中に「タイガーマスク」のデザインがすべてインプットされていたのだ。高校を卒業してから就職するまでの2か月ほどで初めてのマスクを作り上げた。

 「ただ、耳を付けるのは難しくて、できませんでした。それと、ラメ生地は伸びるものではなかったので実際にかぶると顔が突っ張ってしまいました。これでは試合することはできないな、と思いました」

 高校を卒業し三重県内のゴルフ場に就職。20歳でスポーツクラブへ転職した。勤務しながらもミシンを購入しマスク作りへの研究は行っていた。

 「20歳を過ぎてスポーツクラブに勤めたころにミシンを買ってマスクを作り始めました。研究すれば、するほどラストマッチのマスクを自分で作ろうと勉強しました。ビデオ、雑誌を見たり、実際にタイガーマスクを作った方とお会いしてレクチャーも受けました」

 耳の形、マスク独特の立体的な部分の作成など当初は、苦労した。それでも日を追うごとに技術は上がった。そして、ついに佐山本人へマスクを渡す時が来る。当時は佐山が新格闘技「プロフェッショナル修斗」を設立したころだった。兄の頼永さんは、愛弟子として佐山を支えていた。こうした縁で佐山へ自身が作った「タイガーマスク」を渡せたのだ。作ったのは、顔の半分が赤と金で色が違う「赤・金ハーフ」と呼ばれるモデルだった。この「赤・金ハーフ」は1983年7月7日、大阪府立体育館での寺西勇戦で乱入した小林邦昭にマスクを引き裂かれ素顔があらわになる寸前に追い込まれる緊急事態が発生。このとき、リングサイドの少年が自分が持っていたマスクをリングへ投げ、タイガーマスクがかぶった伝説のモデルだった。

 「赤・金ハーフを兄に預けて佐山先生に渡してくれました。その時、僕もお伺いしました。目の前でかぶってくださり、ほめてくださいました。うれしかったですね…マスク越しの目は子供のころに見ていたがあの目になったんです。本当にタイガーマスクでした」

 これをきっかけに中村さんの技術は、プロレスショップに認められ、本格的にマスクを作成することになる。そして「初代タイガーマスク」専属のマスク職人になる時が来る。

(敬称略。福留 崇広)

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