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平松政次さん「哀」 彼女の家に電話してまで「君が欲しい」と言った長嶋さんが「ダメダメダメダメ」…巨人が恐れた男たち

スポーツ報知 / 2025年1月28日 10時20分

大洋で活躍した平松

 V9を筆頭とする巨人の栄光時代は、強大なライバルの存在なくしては語れない。スポーツ報知では「巨人が恐れた男たち」と題し、熾烈(しれつ)な戦いを繰り広げてきた名選手のインタビューを毎月掲載する。第1回は元大洋の平松政次さん(77)。代名詞の「カミソリシュート」を武器に巨人戦歴代2位の51勝を挙げ、あの長嶋茂雄を最も苦しめた投手の一人だ。レジェンド右腕が、野球人生の「喜怒哀楽」を語った。(取材・構成=太田 倫、湯浅 佳典)

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 18年間の現役生活で、一度も胴上げができなかったという悲しみはあった。69年から71年までは3年連続リーグ3位。大洋の投手力もものすごくよくて、優勝のチャンスはあった。ただ、巨人が本当に強かった。

 実は巨人移籍が幻に終わったことがある。75年のオフ。長嶋巨人が最下位に終わった年だ。私は妻とまだ交際中で、その日は目黒区にある実家にお邪魔していた。ふと電話が鳴った。「長嶋さんから電話!」。電話を取った妻の母親が、まるで運動会のようにドンドンと足を鳴らして、跳びはねるように戻ってきた。

 「はい平松ですが…」

 「君が欲しい!」

 どうやって番号を調べたのか…。とにかく長嶋さんはストレートに用件を切り出してきた。

 「行きたいですけど、球団がどう言いますかね…」

 「うん、分かった!」

 電話は、ものの数秒で切れた。

 FA権があるわけではないから、移籍となればトレードになる。直後に長嶋さんは外国人選手を獲るためにアメリカに渡ったようだった。あとはフロント同士の交渉だったと思うが、そこから全く連絡はなくなった。こちらは契約もできず、長嶋さんの動向に神経をとがらせて過ごした。結論が出ないまま、年が暮れた。

 年明けすぐに、ゴルフのイベントで長嶋さんに会った。長嶋さんはグリーンでパターの練習をしていた。面と向かって話したら、周囲に怪しまれる。後ろから近づいて「例の話はどうなりましたか?」と問いかけた。

 振り返った長嶋さんが、思い出したように言った。

 「ダメダメダメダメ!」

 結局交渉がうまくいかなかったようだった。ずっと考えていた。長嶋さんのもとに行ったなら、最低15勝はしないといけない。大好きな人に恥をかかせられない、と。でも結果は「ダメダメ」。普通ならちょっと待てよ、となる話だ。長嶋さんだから許せたんだ。

 ◆平松 政次(ひらまつ・まさじ)1947年9月19日、岡山県生まれ。77歳。岡山東商時代は65年のセンバツで4戦連続完封をマークし優勝。日本石油(現ENEOS)を経て、66年ドラフト2位で大洋(現DeNA)入団。70年に最多勝と沢村賞を受賞。71年は2年連続最多勝を獲得した。83年の200勝達成時の相手は巨人。翌84年限りで引退した。通算201勝196敗16セーブ、防御率3・31。引退後はフジテレビ系「プロ野球ニュース」の解説などで活躍。17年に野球殿堂入り。右投右打。  

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