1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. スポーツ総合

スポーツクライミングの杉本怜が競技人生の“集大成”に挑む…2月1~2日・東京でボルダージャパンカップ

スポーツ報知 / 2025年1月31日 6時40分

集大成としてボルダージャパンカップに出場する杉本

 スポーツクライミングの第一線で活躍してきた札幌市出身の杉本怜(33)が、2月1~2日のボルダージャパンカップ(東京)で競技人生の“集大成”に挑む。札幌西高から早大先進理工学部に進み、プロクライマーとなった異色の道産子アスリート。2018年にボルダーW杯第6戦ベイル大会(米国)で優勝するなど、日本をリードしてきたベテランが、進退をかける決意を明かした。

****

  国際大会派遣の選考が懸かるジャパンカップに、杉本は重大な決意で臨む。「W杯を目指すのは最後になる。2025年シーズンを決める大会。ジャパンカップで日本代表に生き残り、W杯に出場するのが目標です」。競技人生の集大成と位置づけ、選考条件の「上位」という結果が出なければ第一線を退く考えを固めた。

 これまでスポンサーの支えによるプロクライマーとして活動してきたが、昨年からは東京などでクライミング施設を運営する会社に所属。難易度を設定するセッターなどの仕事をしながら競技を続けてきた。勝ち負けを追求する以外にも、イベントなど違う形で競技に携わる価値を感じるようになり、新たな可能性を探るため、ここを「節目」とする決断を下した。

 手稲東小3年時に、北大獣医学部の教授を務めた父・千尋さんに連れられてスポーツクライミングを始めた。手稲東中から進学校の札幌西に進むとボルダーに集中。2年でW杯に出場する力を身につけた。早大では応用物理学を学びながら、13年のミュンヘン大会でW杯初優勝。17年には代表キャプテンも務め、18年はベイル大会でも優勝するなど、第一人者として日本をけん引してきた。

 卒業後は「クライミング以外に明確にやりたいことがなかった」と反対する親を説得してプロ選手に。だが、順風満帆ではない。16年には左肩脱臼の手術を受け、実戦から8か月も離れた。「自分の弱いところなど、それまで気付いてなかったことを発見できた」。前向きに捉えて乗り越えた。

 五輪代表には惜しくも届かなかったが、衰えぬ闘志で“壁”と向き合い、競技を追求。「クライミングに100%打ち込めたし、後悔はない」と自分の選んだ道のゴールを見据える。ジャパンカップの出場予定選手で最年長の33歳。異色の道産子クライマーは、燃え尽きる覚悟で挑む。

(石井 睦)

  〇…杉本は将来的にスポーツイベントをプロデュースする仕事を目指している。「お祭りの要素を取り入れたり、様々な形で大会を運営してみたい」と目下勉強中だ。同時に故郷・北海道の競技発展にも思いを巡らす。「上を目指すなら早いうちに外の世界を見て、自分の位置を確認すること。そのために行動を起こしてほしい」と提言した。

 ◆杉本 怜(すぎもと・れい)1991年11月13日、札幌市生まれ。33歳。手稲東小3年時に北海きたえーるのクライミングウォールで初めて壁を登った。手稲東中、札幌西高から早大先進理工学部応用物理学科に進学。画像処理などを研究し、卒論は「タンジェント位相板による被写界深度拡大について」。家族は妻と1女。171センチ、64キロ。

  ◇スポーツクライミング どれだけ速く登れるかを競う「スピード」、課題をいくつ登り切れたかを競う「ボルダー」、どこまで高く登れたかを競う「リード」の3種目がある。身体能力とテクニック、攻略のための読みが必要。初めて実施された21年東京五輪では3種目を1人で行う複合、24年パリ五輪では単種目のスピードとボルダー&リードの複合でメダルを争った。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください