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旧ソ連軍の攻撃で沈没…1700人死亡 「三船遭難事件」から79年…最新の調査結果を遺族に報告

HTB北海道ニュース / 2024年8月22日 16時18分

(c)HTB

北海道・留萌周辺の沖合で3隻の船が旧ソ連軍の攻撃を受けた「三船遭難事件」から22日で79年です。研究チームの調査によって沈没した船の状態が明らかになり遺族に公表されました。

留萌市の寺で行われた三船遭難事件の慰霊祭。事件の発生からちょうど79年となる22日、遺族に対し新たな「調査結果」が示されました。

■永谷操さん:

「突然だったので、びっくりしています」

■東京大学浦環名誉教授:

「どこにこの船がいるのかお伝えしたい」

「いま足元の下に船がどういうふうに沈んでいるかお示ししたい。」

1945年8月22日に発生した三船遭難事件。小笠原丸・第2号新興丸・泰東丸の3隻が旧ソ連軍の攻撃を受けました。引き揚げ船に乗っていたのはほとんどが終戦後にサハリンから引き揚げてきた民間人でした。犠牲者は、3隻合わせて1708人と言われていますが正確にはわかっていません。3隻の船はサハリンを出航し稚内を経由するなどして小樽に向かっていたところ留萌沖で攻撃を受けました。1隻は大破しながらも留萌港にたどり着きましたが2隻が沈没しました。

■東京大学浦環名誉教授:

「沈没船の泰東丸、小笠原丸を調査します」

20日、海洋観測などが専門の東京大学の浦環名誉教授らによる研究チームが沈没した船の調査を行い、船から海底に向けて音波を発してデータを収集しました。その結果、小笠原丸は海底に原型をとどめたまま沈んでいましたがもう一隻の泰東丸は船体の一部しか確認できず大半が海底の砂地に埋まっていることが明らかになりました。

22日の慰霊祭では浦名誉教授らが解析した船の画像が参加した遺族らに手渡されました。

■永谷操さん:

「本当かいなという感じはするんですけど」

この先どういう風になるのか期待したいです。」

解析された画像は留萌市の隣増毛町で行われた慰霊祭でも関係者に配布されました。

■(父親が遺骨引き揚げに尽力)宇治礼子さん:

「伝えていかなきゃ、あのときの悲惨さ泰東丸に遺骨があるんであれば、引き揚げてあげたい、小笠原丸だけは遺骨があがったけど。」

■東京大学浦環名誉教授:

「遺族の人たちはどこにいるかもわからない人たちもたくさんいるわけですそれがほったらかしになってるっていうことが許されない。」

「必ずできるんだ、どういう技術でできるんだっていうことをお見せしたい。」

今回、船が沈んでいる場所や形がわかったことで今後、船の引き上げや遺骨の収集に活用されることが期待されています。

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