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車いすラグビー日本・悲願の金 エースで函館出身の池崎大輔選手 母校の生徒たちに与えた夢と勇気

HTB北海道ニュース / 2024年9月3日 19時17分

(c)HTB

札幌加藤諒也記者)

「いま号外が配られています」。

札幌市民)

「車いすであれだけ動けるのはもうそれだけで尊敬します」

札幌市民)

「すごいねー。やっぱりなんか勇気づけられたよ。すごい嬉しい」。

決勝で6トライを決めるなど日本の攻撃をけん引した池崎選手。そのルーツは函館にありました。

前田愛奈記者)

「池崎選手の目線の先には金メダルの文字が。下にはたくさんのお祝いメッセージが集まっていますよ」。

函館市民)

「金メダルおめでとうございます。函館のスターですと書きました」。

元々は車いすバスケットボールの選手だった池崎選手。社会人のバスケットチームで共にプレーし、30年来の付き合いがある山田さんは当時から池崎選手のスキルの高さは際立っていたといいます。

Harder’s函館元町ラインオンズWBC山田行広代表)

「チェアスキルと言って、車椅子の操作スピード、中に切り込んでいくスピードでっていう、カットインって言うんですけど、そういうのも全然できる選手でした」。

6歳の時に手足の筋力が徐々に低下する「シャルコー・マリー・トゥース病」という進行性の難病を発症した池崎選手。徐々にボールを握る力が弱くなり、30歳の時に車いすバスケットから車いすラグビーへ転身しました。そして・・・ようやくつかんだ金メダル。

Harder’s函館元町ラインオンズWBC山田行広代表)

「自分もテレビで涙が出ましたね。”池”のやっぱりその喜んでる涙ってなかなか見れない。初めてです。やっぱ初めて喜んでる涙は」。

試合のあとのLINEのやりとりでは・・・

「池ちゃん、金メダルおめでとう。やっと取れたね」。

池崎選手)

「応援ありがとうございます。報奨金期待しています笑」

世界一に輝いた姿は母校の生徒たちにも夢を与えています。

森唯菜アナウンサー)

「池崎選手は、ここで高校生活を送っていました。廊下には池崎選手の写真や金メダルを祝う貼り紙もあります」。

岩見沢高等養護学校時代は車いすバスケットボールに打ち込んでいたという池崎選手。

岩見沢高等養護学校・大山伸吾教頭)

「本校の卒業生の活躍で在校生にもとても励みになって、とても嬉しく思っています」。

池崎選手は卒業後も学校祭に訪れるなど、いまでも母校との交流を続けているそうです。

生徒)

「かっこいい。迫力がありました」。

この大会の前には生徒たちが池崎選手に向けて応援メッセージを送っていました。

池崎大輔選手)

「この旗は、しっかりパリに持って行って、みんなの思いと共に戦ってきますので、応援よろしくお願いします」。

池崎選手の活躍は同じ病気と闘う生徒にも勇気を与えたようです。

溝口愛音さん(2年)

「自分が病気でも恥ずかしがらずに前向きに生きていくことが大事だと学びました。憧れの先輩だと思います」。

最後まであきらめず4回目の出場で悲願を達成した池崎選手。

池崎大輔選手)

「自分でいうのもあれですけど、こういう景色が待っていたんだなと、みんなが見たかった景色を見せられたなと思います」。

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