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100軒が3軒に…「餅の街」小樽で餅文化存続の危機 「守り続ける」「変わり続ける」…老舗餅店の奮闘

HTB北海道ニュース / 2025年1月21日 16時32分

(c)HTB

人々が寝静まった頃、明かりが灯る店があります。

小樽で150年以上の歴史を持つ、老舗餅店「雷除志ん古」。

■雷除志ん古 藤野戸俊亮さん:

「百何十年続いた看板があるし、親父の意志を継いでいかないとと思って」

小樽市民が愛してきた餅。今、その文化が危機を迎えています。

港町、小樽。明治初期から、物流の拠点として栄えた小樽は、「餅の街」とも言われてきました。

■小樽市総合博物館一式紗矢香さん:

「(港に)お米がまず入ってくる。他にも砂糖やお餅のあんこに使う小豆も北海道各地から集まってきたので、小樽はお餅屋さんが多くなったと言われています。港で働く港湾労働者にむけて甘さと腹持ちが受けたのではないか。」

最盛期は、100軒ほどの餅店があったという小樽。

しかし、今急速に進む人口減少や高齢化で街は疲弊し、餅の文化が失われつつあります。

■一式紗矢香さん:

「後継者不足というのを伺っていて。

お父様から息子さん、娘さんと受け継いでいる方も多いが、継がれなかったり、お客さんの減少もあるし、コロナの後に閉めてしまった話も聞く」

おととしから去年にかけ、店主の急逝などを理由に老舗の4軒が廃業。

市内に残る餅店は、3軒のみとなりました。1858年創業、小樽で最も古い餅店、雷除志ん古。この店も、一時、閉店の危機に直面しました。

去年11月、先代の藤野戸秀勝さんが70歳でこの世を去ったのです。

100年もの間使い込まれた、「どんつき」と呼ばれる餅つき機。

先代は、3年ほど前までこの「どんつき」で餅を作り続けていました。

雷除志ん古の大福の特徴は、塩気のある「こしあん」。

酒好きの先代が、二日酔いの朝、つい塩を多く入れたことがきっかけで生まれた「あん」がこの店の味になったと言います。

店を継ぐと決めていた、息子の俊亮さん。

先代が亡くなったのは突然のことでしたが、わずか2週間の休業ののち、すぐに店を再開させました。

■藤野戸俊亮さん:「父と話していて、『継ぎたいんだ』と。『名前を残すために継ぎたいんだ』という話をさせてもらっていて。出張行く前に『また帰ってきたら餅屋のことで話そう』って言ってたんですけど、亡くなっちゃったので。たぶん親父がいたら『早く開けろ』って言ってくると思うので、それで一日でも早く開けようかなと思ってやりました。」

店の歴史を支えた「どんつき」は、今はもう動きません。俊亮さんはこれも復活させようと部品や修理業者を探しています。

■雷除志ん古藤野戸俊亮さん「父が言っていたのは、じいちゃんの時も使っていたと言っていたので。

本当の初期からあるものなんじゃないかなと。

使いたいですね、またね」会社勤めのため、俊亮さんが直接引き継げなかった店の味は、20年以上先代とともに餅を作った吉田久美子さんが守り続けています。

久美子さんの母親もまた、先代の餅作りを手伝ってきました。

大福は、定番の白、草、豆など7種類。

かぼちゃとくるみは、久美子さんが先代とともに試作を重ねてきた味です。

■雷除志ん古 吉田久美子さん「前の社長も感覚。量って入れているわけではなく、感覚で入れていたので。男性と女性で手の大きさが違うので、社長の入れる塩の量プラス少し足すみたいな感じで味見してもらってOKが出た。」

開店は、午前5時半。通勤客などに合わせて、早くなっていきました。

復活を待ちわびた客が、次々とやってきます。200個ほどの大福は、午前10時に売り切れることも。

■朝の散歩ついでに訪れた客:

「寂しいなと思っていましたけど、復活して良かったと思います」

Qここの好きなところは?

「変わらないところですかね、昔と」

■これから仕事の客:

「朝ごはんと嫁へのお土産に。朝これ食べておくと1日お腹いっぱいなので助かっています。」

■常連客:

「他の大福は食べられない、うちでは。続けていってほしいな。」

時代に合わせて変わることで、歴史を繋いできた店もあります。1931年創業、お菓子の六美です。3代目の工藤仁嗣さん。この日は、法事で使われる四十九日餅を作っていました。

■六美 工藤仁嗣さん:

「亡くなった後に49日かけて仏様のもとに行くという、その行脚の間で一日一つずつ食べて行って、最後の大きな1個が傘餅といってお土産と言われています」

■六美 工藤三千代さん:

「お寺の行事とか神社の行事にもお餅が欠かせないので、そういった意味では責任が。

お餅屋さんが少なくなったので責任があるよねって言っていました」

餅の文化を守りたい。

だからこそ、大切にしてきたのは「変化」です。仁嗣さんが店を継いでから20年あまり。商品も販路も、新たな道を開拓してきました。

■工藤仁嗣さん:

「父の時は和菓子をプラスしましてお餅と和菓子となってきたので、私の代は洋菓子だなと思って、それに洋菓子をプラスしました。だんだん小樽の人口が減っていって、外に販売していかなきゃ生き残れないなということで、今は全体の7割を超えるぐらい外売りが増えています。」

どら焼きの中に餅と栗を入れた、看板商品「たるどら」に、地元の酒造メーカーの酒粕を使った、和洋折衷のトリュフチョコレート。和菓子や洋菓子の枠組みにとらわれない商品を生み出し、現在の商品数は、120種類にも上ります。

そして、次の世代につなぐ動きも。

息子の晃大さんは、4代目となることを決め、3年ほど前から本格的に修業を始めました。

■六美 工藤晃大さん:

「久しぶりに自分のうちのあんこの製品を食べてみまして。うちのっておいしかったんだなと最近改めて感じて。ずっとこれからも守っていかなきゃいけないものなんだなと感じます。」

■工藤仁嗣さん:

「息子もこれから継いで自分のやり方で自分の方法を見つけてやっていってくれればなと思います。」

時代を超えて愛されてきた、変わらないものと。時代の波に合わせて、変わり続けるもの。小樽の餅文化は、逆風の中でも途絶えることなく、次の世代へと受け継がれていきます。

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