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【特集】兄妹で被爆証言者に 原爆の記憶を遠ざけた92歳兄の決意 背中を押した87歳妹の思い 

広島テレビ ニュース / 2024年6月2日 7時0分

広島テレビ放送

92歳と87歳で被爆体験の証言者を務める兄妹がいます。92歳の兄は、これまで語ることを避けてきた自らの体験を証言すると決め、この春、初めて披露しました。背中を押したのは87歳の妹でした。二人の思いを取材しました。

慰霊碑に祈りを捧げる才木幹夫さん

広島市中区にある県立広島国泰寺高校の一角に、静かに建つ慰霊碑。この日、ひとりの被爆者が訪れていました。才木幹夫さん・92歳です。

■才木幹夫さん

「私たちだけが助かって、なんか後ろめたい思いがいつもあるんですよね。」

運命を分けたあの日…

79年前、才木さんは国泰寺高校の前身、広島第一中学校の2年生でした。8月6日は家屋を取り壊す「建物疎開」の作業のため、登校日だった生徒たち。しかし突然、2年生だけが休みとなりました。校舎は爆心地からわずか800メートルの場所でした。生徒353人が犠牲になり、そのほとんどは1年生でした。

■才木幹夫さん

「担任の戸田先生が、突然2年生は6日は休めとなった。段原の家にいて助かったわけですよね。2年生が助かるというのはね。これも運命といえばそれまででしょうけど。1年生は全滅。紙一重の差。」

自分が生き残ったことに、後ろめたさを感じていたが…

才木さんは爆心地から2.2キロの南区・段原にある自宅で被爆しましたが、奇跡的にけがはありませんでした。

■才木幹夫さん

「松原町に瀬越と野上というのが一級下にいてね。身近な人がいるとね…」

後輩たちが死に、自分は生き残ってしまったという「後ろめたさ」が消えることはなく、これまであの日の記憶を遠ざけてきました。

遠ざけてきた記憶を呼び起こし、あの日の証言をすることに。

そんな才木さんを突き動かしたのは、戦禍にあるウクライナの惨状でした。破壊されたまちが、あの日の広島に重なって見えたといいます。

■才木幹夫さん

「これはやっぱりやらにゃいかんと思ってね。それで飛び込んだわけですね。」

思い立ってから3日かけて書き上げた証言は、原稿用紙25枚に及びます。「生かされた」ことと向き合いました。後ろめたさの中で過ごした80年。「心」に不安を抱えながら生きてきました。

あの日、同じ場所で被爆した妹の山瀬潤子さんは、証言者の一人として活動している

もうひとつ、才木さんの背中を押した存在があります。妹の山瀬潤子さんです。今も週に一度は顔を合わせ近況を語り合います。79年前のあの日、ふたりは自宅で母・フミさんと一緒にいました。

真剣に耳を傾ける小学生は何を感じ取ったのか…(2020年の講話)

■山瀬潤子さん(講話)

「台所の窓がぴかっと光った。 光と同時にわたしたち3人がいた隣りの部屋が、ど-んとものすごい音。」

潤子さんは自身の被爆体験を語る「証言者」です。結婚後、長年山口県に住んでいましたが、8年前に広島に戻り証言をする決心をしました。

妹の行動に、才木さんは「いいことをやった」と声を掛けた

■山瀬潤子さん

「広島に帰ると毎日のように原爆の報道、テレビから新聞からされてますでしょ。私みたいな断片的なちっちゃなことでも寄せ集めれば、点が線になって面になれば、だいたい状況が分かってきたり、何かの参考になればいいんじゃないかという気がしたわけです。」

兄が証言をする気持ちは本物だと感じた山瀬さん

「今からでもできることがある」と、2023年に書き上げた原稿を最初に見せたのは、潤子さんでした。

■山瀬潤子さん

「私に見せてくれたんですよ。原稿用紙にずっと20何枚かな。(募集中)でないのに、資料館に持って行ったって。(気持ちは)本物かなって思ってね。すごいなと思ってね。」

■才木幹夫さん

「生かされているという気持ちが、我々の世代にあるんですよ。証言で亡くなった人の分まで、お伝えしていかなくてはいけないなという感じがあったものですから。」

被爆体験証言者委託式で、委託書を交付された才木さん

そして4月、才木さんは広島市から証言者の委嘱を受けました。会場には、証言者として5年目を迎えた潤子さんの姿もありました。原爆資料館によると、兄妹で証言者を務めるのは、才木さんと潤子さんだけだそうです。

初めての証言を前に、入念に原稿を確認

才木さんが証言者となって、初めて語る日を迎えました。予定の1時間前に到着し、登壇直前まで原稿に目を通します。

■才木幹夫さん

「それはもう、引き締まる思いですよ。うまい具合にいけばいい。」

あの日を証言と共に、子どもたちに未来を託す

証言を聞くのは修学旅行で訪れた鳥取県の小学6年生40人です。あの日、建物疎開の作業が休みになり「生かされた」ことを語ります。

■才木幹夫さん(講話)

「私たちは、奇跡的に建物疎開作業を免れて助かったわけですね。その結果、私たちは助かって、こうしてみなさんに話ができることになるわけですね。」

92歳で一歩を踏み出した才木さんが、1時間の証言の最後によびかけたことは…

■才木幹夫さん(講話)

「平和とはみなさんの身近なところからその思いと、行動をスタートさせることだと思うんですね。」

命ある限り、あの日を語り継いでいく

■講話を聴いた小学生は…

「今起きているウクライナとロシアの戦争について、戦っている国の人たちもここにきて、戦争の恐ろしさを実感してもらいたいと思いました。今日は本当にありがとうございました。」

■才木幹夫さん

「ありがとうございましたと言ってくれて、ちょっと気も緩んでいます。年齢的に考えて4.5年かなと思うが、それ以上できたらずっと届けたいと思います。」

あの日から79年。遠ざけてきた記憶を呼び起こし語り始めた92歳は、命ある限り次の世代に伝え続ける覚悟です。

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