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【広島・原爆の日】池上彰が見た『平和の軸線』に誕生したスタジアム 建築家・丹下健三が構想案に込めた思い

広島テレビ ニュース / 2024年8月6日 8時39分

広島テレビ放送

原爆慰霊碑は資料館と原爆ドームを結ぶ直線上にあります。平和公園の設計者が、その直線の先に構想していた施設が2月、実現しました。『平和の軸線』に込められた被爆地・ヒロシマの思いを、池上さんが取材しました。

広島テレビ放送

2024年に広島市中心部に開業したエディオンピースウイング広島に、池上さんが初めて訪れました。足を止めたのは、サッカー漫画「キャプテン翼」の壁画です。

■池上彰さん

「戦争じゃなくてサッカーで戦おうって、良いメッセージだよね。」

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3年前、池上さんはスタジアムの建設現場を取材していました。発掘調査で見つかったのは、旧陸軍の施設の跡。当時のことを知る男性にも話を聞きました。爆心地からの距離はおよそ800m。この部隊にいた400人以上が原爆の犠牲になったといわれています。

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被爆から5年後、一つの構想案が発表されました。平和公園の北にプールや子供施設、そして『スタジアム』です。

1990年、広島テレビの取材に応じる丹下健三氏

この案を残したのは、平和公園を設計した世界的建築家・丹下健三です。後に東京都庁や代々木競技場といった日本を代表する建物を手がけました。1930年、丹下健三は愛媛県今治市から旧制広島高校に進学しました。

■丹下健三氏

「ずっと行きつきますと、中島に参りますね。あの辺に映画館がたくさんあって、飲み屋があって、赤提灯がありましてね。あの辺でたむろしたことも非常に多かったと思います。あの界隈が私にとって一番記憶が深い地域になるわけです。」

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青春を謳歌した思い出の街は、原爆で壊滅しました。8月6日は東京から今治に向かう道中でした。その日、今治が受けた大規模な空襲。焼夷弾が母に直撃し、帰らぬ人となりました。戦争で親を失い、2つのふるさとは、変わり果てた姿に。

広島テレビ放送

終戦から4年、平和公園の設計コンペが実施されました。

■丹下健三氏

「絵を書いてみますと、100m道路とドームと直角のところに、三角州の中心線がありそうな気がして。」

導きだしたのは、資料館と慰霊碑、そして、原爆ドームを南北に結ぶ『平和の軸線』です。解体を求める声もあった原爆ドームについて「戦争の記憶は最大限残すべき」と主張しました。140点を超える応募から選ばれたのは、丹下の作品でした。

広島テレビ放送

丹下の息子で、建築家の憲孝さんは「父にとってこのドームは忘れてはいけない」と話します。

■丹下都市建築設計会長 丹下憲孝さん

「平和を維持することの大変さ、それを維持するために『みんなで力を合わせて勝ち得なきゃいけないんだ』と。」

原爆ドームは、平和を勝ち得るためのシンボルと位置付けました。

丹下健三氏が広島市に宛てた手紙

1949年4月に丹下が広島市に宛てた手紙が残されています。この頃から平和公園の北にある中央公園に、運動施設やスタジアム建設の必要性を説いていました。

■丹下都市建築設計会長 丹下憲孝さん

「ドームからですね、伸びる軸線というのがまだありまして、そこにうちの父はスタジアムの絵を書いております。若い人たちがスポーツを通じて1つとなって、平和への思いを未来に向けて続けていきましょうと。」

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丹下の研究をしている千葉大学准教授の豊川斎赫(さいかく)さんです。

■千葉大学准教授 豊川斎赫さん

「みんなが集まって何かをやるということがやっぱり都市のコアというか、都市の真ん中で行われるべきことであると。『住むところ』『働くところ』『移動するところ』『余暇を過ごすところ』。この4つのキーワードでこれからの街を作っていかなきゃいけないと。」

2024年2月に開業した新サッカースタジアム

原爆ドームの北側に丹下が描いたのは、過去の戦争を乗り越えた市民たちが集う未来でした。

■千葉大学准教授 豊川斎赫さん

「(原爆ドーム)南側には、静かな死者と対話をするというか、向き合うための黙祷する場所。いわゆる静の空間。それに対して対局側には動の動きがあって然るべき。スタジアムという対比的なアイデアで、ああいうものを置かれたんじゃないかなと。」

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スタジアム構想から74年。『平和の軸線』上に誕生したスタジアムには今、多くの人たちの声が響きます。

■日本人サポーター

「サッカーやスポーツができることは平和の象徴。世界に発信できるような拠点にできたら一番いいんじゃないかなと思います。」

■ドイツ人サポーター

「街全体が平和に基づいている。スタジアムも平和に基づいていることは素晴らしい。」

■シリア人サポーター

「広島から、平和のメッセージをシリアへ、日本へ、世界中へ発信しましょう。」

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それは、丹下が願ったヒロシマの姿です。

■丹下都市建築設計会長 丹下憲孝さん

「スポーツは万国共通で皆さんが楽しめるものであり、そこで言葉が通じなくても、喜びなり感動なりを共有できる。父がもしここにいたら、自分の思いは伝わったということじゃないですかね。どちらかというと『皆さんありがとう』じゃないですかね。」

(左)諏訪昭登さん/(右)池上彰さん

スタジアムを訪れた池上さん。ある人に再会しました。3年前に取材した諏訪昭登さんです。諏訪さんは、子どもの頃、軍人だった父親に会うためこの場所にあった施設を訪れていました。同じ場所に誕生した平和のスタジアム。

■池上彰さん

「世界中からサッカーの選手が来たり応援団が来る、その人たちがここへ来て、平和公園の横なんだねということを知ってほしいですよね。」

■諏訪昭登さん

「今ほど、国際間の理解が大事なことが言える時代はないと思う。その方法としては、スポーツなんか非常に有効であると思う。私は、ここから川向こうにおりますので、まともにここも見えるし、日本がゴールしたらワッと沸きますね。その声聞こえるんですから。それを聞くたびにね、いい時代が来たものだなあと思いますね。」

【2024年8月6日放送】

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