ノーベル平和賞授賞式に出席した日本被団協・田中聰司さん 「恥ずかしさを感じた」 危機感を募らせる被爆者の思い【NEVER AGAIN・つなぐヒロシマ】
広島テレビ ニュース / 2025年1月15日 16時24分
日本政府は、核兵器禁止条約の締約国会議へのオブザーバー参加を拒んでいます。こうした現状の中、ノーベル平和賞の授賞式に出席して「恥ずかしさを感じた」と語る被爆者がいます。危機感を募らせる思いを取材しました。
人生が一変したあの日…
日本被団協代表理事の田中聰司(たなか・さとし)さんは2024年12月、ノーベル平和賞の授賞式でノルウェーを訪れました。喜びと責任の重みを感じています。
■日本被団協代表理事 田中聰司(たなか・さとし)さん
「ある日突然原爆が落ちてきて、一瞬のうちに亡くなった人が、無数の人たちがいるんだよ。同じ状態に今あるということ。この世の中。ひとごとではないんですよ。」
山口県下関市で生まれた田中さんは、1歳5か月の時に親族を探すために親に連れられて、広島市内に入り被爆しました。家族や親族を失い、自身は原爆症と診断され、差別に苦しみます。被爆者であることを、隠して生きてきました。
■日本被団協代表理事 田中聰司さん
「ある時(大学時代)、風呂に入っている時、隣にいた友達に『原爆ってうつらないだろ?』と言われたんですよ。その言葉にね、私はショックを受けてね。差別感を味わってね。」
隠れて生きるのではなく、日本被団協の一員として
大学卒業後に新聞社に就職し、記者として日本被団協を取材するうち、心境に変化があらわれます。
■日本被団協代表理事 田中聰司さん
「被爆というものは自分だけの問題じゃなくて、人類の問題だと捉えて活動しているね。自分が被爆者であることをコソコソ隠して生きているなんて、非常に心の狭い人間だったなと反省させられてね。」
原爆投下から10年間、その被害者に医療や経済的な支援はありませんでした。彼らは立ち上がり、日本被団協が結成されます。
■日本被団協 初代代表委員 森滝市郎さん
「被爆者の苦痛に満ちた心からの訴えや、国際世論の反対を押し切って今未明、ついに核実験を強行した。許しがたい暴挙。」
自らの体験を語り、原水爆禁止と国家補償を訴え続ける被団協の活動に、田中さんは感銘を受けました。
そして、自身も日本被団協の一員に加わりました。
■日本被団協代表理事 田中聰司さん
「核兵器禁止条約に一日も早く参加するよう、みなさん署名をお願いします。」
受賞で感じた「喜び」と「悔しさ」
活動が認められて受賞したノーベル平和賞。代表団のひとりとして、授賞式に向かいます。およそ20時間かけて到着したノルウェー・オスロにて、結成から68年、「核のタブー」を確立した日本被団協に賞賛がおくられました。
しかし、田中さんの思いは…
■日本被団協代表理事 田中聰司さん
「喜び半分。悔しさ半分。特に日本政府が核兵器禁止条約にそっぽを向いている中で、表彰を受けたことが、ある面で恥ずかしい思いもある。この状況を打開していかないといけない。」
若者たちと一緒にできること
授賞式の翌日、田中さんの姿は、現地の若者や日本の高校生らとの交流イベントにありました。原爆がもたらす実態を伝えます。
若者から、田中さんに質問です。
■日本の高校生
「日本政府が被爆者への補償を拒む最大の理由は、何だと思いますか?」
■日本被団協代表理事 田中聰司さん
「本気で核兵器をなくそうという気がないのが第一。アメリカの核兵器に頼っていれば、安全だという考え方が根本的にあって、それを直す意思がないからです。高校生のみなさん、交流を深めていって、この声を大きくしていきましょう。」
田中さんは、危機感を強めていました。
■日本被団協代表理事 田中聰司さん
「受賞の喜びは昨日だけ。昨日で終わり。非常に危うい時期にいるんだから、それを認識してね。もっと(核兵器に)危機感をみんなもってね。若い人も私たちも。」
地元の反核団体との交流
オスロ市内の広場には、静かに平和を訴えるモニュメントがあります。広島市から贈られた被爆石です。この場所で、地元の反核団体と交流しました。
■日本被団協代表理事 田中聰司さん
「私は核保有国に対して「核兵器を減らしなさい。戦争をやめなさい。」要請行動をしたいと思っているのですが、一緒に計画を練りませんか。」
■反核団体
「私たちの目標は同じです。できる限り私たちは、協力したいと思っています。」
命ある限りやっていかなきゃいけない
オスロの地で「喜び」と「恥ずかしさ」を感じた被爆者。あの日から80年、核を取り巻く世界情勢の中で、力を振り絞り続けます。
■日本被団協代表理事 田中聰司さん
「私たちを見向きもしないような人たち。特に、世界の核ボタンに関わっているようなリーダーたちに、何とかして私たちの声に少しでも耳を傾けさせる。振り向かせる。自分ができる限りのことを、命のある限りやっていかなきゃいけないなと思ってやっている。」
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