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模擬原爆「パンプキン」 原爆投下に向けて繰り返された日本全土での投下訓練 米兵の苦悩と地上の記憶【NEVER AGAIN・つなぐヒロシマ】

広島テレビ ニュース / 2025年1月26日 8時0分

広島テレビ放送

原子爆弾は8月6日に広島、そして9日には長崎に投下されましたが、アメリカ軍は、そのおよそ2週間前から日本全土で投下訓練を繰り返していました。「パンプキン」と呼ばれた模擬原爆の訓練。作戦に加わったアメリカ兵の苦悩と、各地で語り継がれる記憶です。

小さな少女が見たものは…

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琵琶湖を望む滋賀県大津市。1945年7月24日。ここに、一発の巨大な爆弾が投下されました。

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当時3歳だった桝本和子さんに、話を聞きました。

■桝本和子さん

「朝7時くらいだったと思うんですけども、ものすごい音がしたのは覚えているんです。大きな煙が上がったからね。あそこに爆弾が落ちたんやなとは思っていました。」

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爆弾は、当時魚雷を作っていた工場に着弾。記録によると、16名が犠牲になりました。

大津市歴史博物館にある「パンプキン」の実寸大模型

落とされた巨大な爆弾の長さは、およそ3.3メートル。重さ4.5トン。カボチャのような見た目から、アメリカ軍は「パンプキン」と呼んでいました。

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大きさや形は、長崎に投下された原子爆弾「ファットマン」とそっくり。核物質の代わりに、通常の爆薬を詰めた「模擬原爆」でした。

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なぜ、長崎型の「ファットマン」だったのか。広島型の「リトルボーイ」とは、形状や核分裂の発生方法などが異なり、「ファットマン」の方が構造上、核物質と爆薬を入れ替えやすかったとされています。

■桝本和子さん

「小さい時は、そこまで大きな被害っていうことも分かりませんでしたし、パンプキン爆弾っていうこともわかりませんでした。」

アメリカの作戦に必要だった「パンプキン」

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太平洋戦争末期、アメリカは世界初の核実験に成功。模擬原爆「パンプキン」は、その後の作戦遂行のために作られたものでした。

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戦時中、日本が受けた空襲について調査をしている工藤洋三さんです。

■工藤洋三さん

「パンプキンというのは、原爆投下訓練用の爆弾なんですね。」

アメリカ軍の投下訓練とみられる映像より。

アメリカ軍による模擬原爆の投下訓練とみられる映像によると、従来の爆弾とは違い、丸みを帯びたパンプキンは、落下の軌道が安定しづらいといいます。この訓練でも、実際の着弾は目標地点を外しています。

■工藤洋三さん

「一連の動作をぶっつけ本番でやると、全体のシステムの中にある初期欠陥みたいなものが、常にあるというわけですね、新しい兵器は。それを直して本番に使うために、どうしても訓練用の爆弾が必要だった。」

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広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」の機長・ポール・ティベッツは、戦後のインタビューで訓練について述べていました。

■「エノラ・ゲイ」機長 ポール・ティベッツ氏

「作戦準備が整うと、我々には訓練用模型の爆弾が与えられた。この爆弾の外形は長崎に投下された原爆と同じだった。爆撃訓練を行うことで、本物の爆弾と同じ落下の特性を経験できた。」

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1945年7月20日に始まった投下訓練。その標的は、日本全土に及びました。8月14日までの間に49発が投下され、およそ400人が犠牲になりました。

天才パイロットの苦悩…

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大津市に飛来し、パンプキンを投下したBー29「ストレート・フラッシュ」の機長のクロード・イーザリーは、天才パイロットと称されていました。一連の訓練では最も多い、97人の犠牲者を出した舞鶴への作戦にも参加しています。一方で、当時アメリカ軍が攻撃を禁じていた皇居に向け、パンプキンを独断で投下。上官から叱責される一面もありました。

イーザリーが機長を務めた「ストレート・フラッシュ」

8月6日、午前7時15分。イーザリーは気象観測のため、広島上空にいました。

■「ストレート・フラッシュ」機長 クロード・イーザリー氏

「快晴。視界良好。第一目標広島。攻撃せよ。」

午前8時15分。イーザリーの合図により、「エノラ・ゲイ」が広島に原爆を投下。アメリカにとって、入念な計画と訓練を経たものでした。

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終戦翌年の7月1日、アメリカは核実験「クロスロード作戦」を実施。この時、イーザリーは大気中の放射性物質の調査で上空を飛行し、被爆していました。その年、アメリカ人ジャーナリストが、被爆後の広島について出版。これを読んだイーザリーは、ヒロシマの実態を知ると同時に、自らの被爆に苦悩したといいます。

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退役後、強盗をはたらいたイーザリー。精神を患い入退院を繰り返し、晩年にはがんで声を失います。59歳でこの世を去ったのは、くしくも自身が被爆したのと同じ、7月1日でした。核に翻弄された天才パイロットは生前、広島への思いを、こう書き残していました。

■「ストレート・フラッシュ」機長 クロード・イーザリー氏

「われわれがなすべきことは、二度とふたたびヒロシマがくりかえされないために、ありとあらゆる手を尽くすことなのです。」

「パンプキン」の出来事を伝えるために…

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茨城県北茨城市は、日本で初めてパンプキンが落とされた場所です。ここで暮らす野口友則さんの5年前に亡くなった父・友朗さんが、パンプキンを目撃していました。

■野口友則さん

「たまたまうちの父だけが、飛行機が飛んでくるのが見えて、そこから爆弾を落とすまで、5歳ながらにはっきり見て、すごい体験だったんで、ずっと語り継いでいたと。(爆弾が)どこに落ちたかというのを突き止めて、着弾地に石碑を建ててほしいと。」

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石碑への思いを受け継いだ神永峰敬さんは、野口さんとは親戚にあたります。かつて、石材業を営んでいた神永さんは、自らの手で石碑の制作を進めます。

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そして2024年、着弾地点を見渡せる場所に石碑が完成しました。

■神永峰敬さん

「これの真後ろが現場なんだよね。 ちょうど直角に。」

(手前)石碑を制作した神永峰敬さん

石碑には、49の着弾地点と、広島と長崎の文字もあります。

■野口友則さん

「原爆投下作戦ってのは、広島長崎2点だけじゃなくて、模擬原爆も含めると日本全国に広がりを持った作戦だったっていうか。落とす方からしたら同じっていうか。だからそれが、逆に恐ろしいっていうかね。」

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大きく刻まれた文字は、神永さんの直筆です。

■神永峰敬さん

「こういう言葉。私が作った言葉でもないし、昔からあるし。心してということですよね。なるだけ見てもらって。少しでも後の人に伝わってくれればという願いだけですね。」

原爆投下の裏で進められていた、日本上空での極秘訓練。地上にいた市民が残す、戦争の記憶と記録です。

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