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地方暮らしと人生を楽しんだ先人から学ぶ|そごう千葉店で「白洲次郎と正子展」開催

IGNITE / 2022年4月21日 22時0分

地方暮らしと人生を楽しんだ先人から学ぶ|そごう千葉店で「白洲次郎と正子展」開催

戦前・戦後の日本で、自らの規範による誇り、直感、プリンシプル(原理原則)を貫いた白洲次郎と、独自の審美眼と美の世界観を持ち続けた妻・正子。ふたりは我が道を生きながらも、互いの個性と生き方を尊重した夫婦だった。

コロナの影響によりワークライフバランスや地域とのつながりが見直される中、彼らは地方に住みながら中央の政治にも目を光らせ、その土地の暮らしと人生を楽しんだ先人とも言える。

そごう千葉店では、ふたりのライフスタイルを垣間見られる展覧会を、4月22日(金)から5月5日(木・祝)まで開催する。

3部構成で白洲一家の人生に迫る

会場は「武相荘」「次郎」「正子」の3部構成で、武相荘の部屋の再現4点と、180余点の愛用品と資料・写真を展示する。

夫婦の終の棲家となった邸宅「武相荘」

1942年、次郎40歳、正子32歳の時、夫婦は日本の敗戦を見越して南多摩郡鶴川村(現・東京都町田市)の農家を農地付きで購入し、「隠遁生活」を始めた。武蔵の国と相模の国の境にあることと、無愛想をもじって、夫婦はこの邸宅を「武相荘」と名付けた。

旧白洲邸 武相荘

会場では武相荘のリビングを再現。夫婦の日々の暮らしの愛用品や、武相荘の写真・資料などを展示する。

自分が信じる「プリンシプル」を忠実に生きた「白洲次郎」

1902年、綿貿易商の白洲文平の次男として兵庫県に生まれた白洲次郎。英国ケンブリッジ大学に留学、帰国後は英字新聞記者になり、1929年に樺山正子と結婚した。

濱谷浩撮影ⓒ片野恵介

戦後1945年、吉田茂外相に請われて終戦連絡中央事務局参与となり、GHQとの折衝にあたり日本国憲法成立などに関与。その後、貿易庁長官に就任し、通商産業省を誕生させた。

1959年、57歳で東北電力の会長を退き政財界から身を引くと、晩年は車、日曜大工、ゴルフを楽しみ、カントリージェントルマンたる生き方を実践した。

白洲次郎がよく持ち歩いていた、オリベッティ社製のタイプライター

展覧会では、マッカーサーに送った椅子の複製や、吉田茂からの書簡、日本国憲法関連資料や、留学時代を含めた趣味・ファッションなどの愛用品や写真を展示する。

日本文化や美を見つめ続けた「白洲正子」

正子は1910年、実業家の樺山愛輔の次女として永田町に生まれた。14歳で米・ハートリッジ・スクールに留学、1928年に帰国し、翌年に白洲次郎と結婚した。

1956年、銀座の染織工芸店「こうげい」の経営者になり多くの工芸作家を世に送り出すと、40代の頃からは取材や、能面を求めて各地を旅するようになる。文学・古典・古美術・旅を愛し、古典文学や工芸などについての随筆を執筆した。

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