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リアル・マイケルジャクソン [Vol.4]_1992年、4年ぶりのマイケル来日で空港へ駆けつける。 ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話~

インフォシーク / 2012年9月20日 15時0分

92年12月、長崎ハウステンボスで2泊3日の休暇を過ごしたマイケル。

前回のBADツアー来日から、ふたたびマイケルが日本を訪れるまで、4年の月日が流れていた。

1年や2年ではない。「丸4年」である。

そもそもが完璧主義で、職人肌のマイケルは、渾身の力を注いだアルバムを4~5年に1枚しかリリースしない。マイケルのファンでいることは、「待つことに耐えること」でもあったのだ。

1991年11月、待ちに待ったNEWアルバム「DANGEROUS」がリリースされ、翌年の6月には、ヨーロッパを皮切りに大規模なワールドツアーがスタートした。全69公演のうち、「東京」は1都市で8回もの公演スケジュールが組まれる異例の扱いで、マイケルは約1カ月にわたり、日本に長期滞在することになったのだ。

わたしたち3人がマイケルに覚えられるのは、1996年の「HISTORYツアー」がキッカケなのだが、そこに至るまでの道のりでは、 この92年の来日が大きな転機となった。

当時の3人は、まだ別々に行動していたのだが、一歩ずつ階段をのぼるように、それぞれがマイケルとの距離を縮めていったのだ。

4年前に「涙の初おっかけ」を経験していたわたしは、今回の来日で2つの目標を掲げていた。

1度でいいから等身大のマイケルをこの目で見たい。本人に触れて、握手してみたい!コンサートは、8回の公演すべてを観るために、青山の路上で2晩徹夜して整理券を獲得し、さらに数十万円をつぎこんでアリーナど真ん中のプレミアチケットを用意していた。

完成されたアルバムやプロモーションビデオは、何年、何十年後でも楽しむことができる。

でも、生でコンサートを観たり、マイケル本人に会うチャンスは、今しかないかもしれない。前回の来日では果たせなかった夢。マイケルと同じ空間で、同じ時間を共有するために、わたしは準備万端整え、マイケルを迎えるために(会社を休んで)空港へと駆けつけた。

1992年12月9日。この日、成田空港にはマイケル来日を待ち続けた多くのファンが集まった。そして、報道陣のフラッシュ、湧き上がる歓声、凄まじい悲鳴、警備員の怒声の中、セキュリティやビデオクルーに囲まれて、マイケルその人は現れた。

(今度こそ、ひと目でいいからマイケルが見たい!!!)

わたしは、押し寄せる人の波に揉みくちゃになりながら、4年前と同じ失敗は繰り返すまい!と、ロープをつかんで必死に身をのり出した。

【バックナンバー】
リアル・マイケルジャクソン [Vol.3] _ファンになった頃、マイケルとの距離は1番近くて遠かった。<後編>
リアル・マイケルジャクソン [Vol.2] _ファンになった頃、マイケルとの距離は1番近くて遠かった。<前編>
リアル・マイケルジャクソン [Vol.1] _マイケルの死を乗り越えるために、ロスの追悼式へ飛ぶ。

パリス川口
コピーライター。87年来日時にマイケルのファンとなり、OL時代、同じくOLの友人とともに世界中を追いかける。96年HISTORY TOURを機に、3人は「D-PARTY」(ファミリーの意)と呼ばれ、世界各地でマイケルに会えるようになる。追悼式から3年を経て当時のエピソードを公開。

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