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リアル・マイケルジャクソン [Vol.9]_1996年、運命のHISTORYツアー序章編。 ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話~

インフォシーク / 2012年10月25日 18時30分

1996年にスタートしたHISTORYツアー。写真はツアー中のマイケル。

アルバム「HIStory~」のリリースから1年3カ月後の1996年9月7日、ソロとしてのマイケルの3度目のワールドツアーがはじまった。

HISTORYツアーは、プラハ(チェコ)からスタートし、足掛け2年で35カ国、58都市をまわる大掛かりなものだった。

100名を超えるクルーが2機の専用ジェット機で世界を駆け巡り、450万人もの人々が完成されたマイケルのショウに酔いしれたのだ。

このツアーで、いよいよワールドおっかけに飛び出そう!と心に決めていたわたしたちは、協力していくつかの下準備にとりかかっていた。

まず、この年の9月1日、東京ディズニーランドのアトラクション「キャプテンEO」(マイケル主演)がファイナルを迎えることになっていた。(現在、復活上映中)

来日のたびにディズニーを訪れ、自らのアトラクションを楽しんでいたマイケルのために、わたしたちは、最終日の様子と、自分たちの自己紹介をビデオで撮影することにした。

これを1本のビデオテープにまとめて、マイケルに見てもらいたい!と思ったのだ。

もうひとつ、今回のワールドツアーで、わたしたちには絶対に叶えたい「夢」があった。マイケルのステージは、毎回1人の女性が客席から選ばれ、1分ほどマイケルとハグできるという女性ファンなら失神ものの演出が組み込まれている。わたしたちは、これまで何度も幸運なピックアップガールを客席から見ては、共感したり、涙したり、羨ましく思ったりしてきた。

(いつか、自分もステージにあがりたい!)その夢を、今回のツアーにかけたのだ。

もちろん、選ばれるためには、少しでもステージに近い場所にいる必要がある。12月に予定されていた日本公演は、東京公演が4日間、福岡公演が2日間。この東京公演で最前列のチケットを獲得すべく、わたしたちは、「チケットセゾン」の窓口に整理券を求めて並ぶことになった。ネット予約のない時代、大物アーティストの興行には整理券がつきものだったのだ。

せいぜい3日も徹夜すれば大丈夫かと思っていたら、まだ整理券の「せ」の字も発表されていない9月某日、ファンが整理券のために並び始めているとの情報が入ってきた。

「うぎゃっマジ!?」過去、整理券を配布した実績があるのは、有楽町、池袋、渋谷、横浜といったごくわずかな売り場しかない。1番を死守するために、即、自分たちも手分けして並ぶことになったのだ。

この頃のわたしは、バリバリに深夜まで働くOLだったので、仕事が終わるとそのまま売り場に直行し、そのへんのダンボールをしいて路上で寝た。会社、売り場、会社、売り場。ときどきシャワーをあびに家に立ち寄り、週末は2泊3日、ノンストップで路上に並び、自分が仕事で並べないときは、学生の子にバイトを頼んで代わりに並んでもらった。だんだんと疲労がたまり、顔はやつれ、あちこちをヤブ蚊に刺され、朝なかなか起きられないわたしを、たびたびホームレスのおじさんが起こしてくれた。

そんな、ハードな路上生活の日々が、なんと20日以上も続いたのである。

ようやく整理券が配布され、手にしたチケットは、ステージ中央の5列目。「なんだ、5列目か・・・」と一瞬ガックリきたものの、会場の図面をみると、今回のステージはファッションショーのランウェイのように、一部が客席にせり出したつくりになっていた。そのランウェイのすぐ横が、わたしたちの座席だったのだ。(これなら最前列じゃなくても、ステージにあがれる可能性があるかも!)20日間の努力が実りますように・・・と、わたしたちは、祈る想いでチケットをみつめていた。

そして10月、すべての準備を終えたわたしたちは、「HISTORYツアー」ワールドおっかけの第一歩として、ソウルでのコンサートをみるために現地へ飛んだ。

そこで、マイケルと、驚きの再会を果たすことになるのだ。

【バックナンバー】リアル・マイケルジャクソン ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話

リアル・マイケルジャクソン [Vol.8]_1995年、一夜限りのイベントのためニューヨークへ飛ぶ。
リアル・マイケルジャクソン [Vol.7]_1993年、悪夢の疑惑報道の中、福岡に再来日!
リアル・マイケルジャクソン [Vol.6]_1992年、はじめて触ったマイケルの手に号泣する。
リアル・マイケルジャクソン [Vol.5]_1992年、はじめて目の前で等身大マイケルをみる。
リアル・マイケルジャクソン [Vol.4]_1992年、4年ぶりのマイケル来日で空港へ駆けつける。

パリス川口
コピーライター。87年来日時にマイケルのファンとなり、OL時代、同じくOLの友人とともに世界中を追いかける。96年HISTORY TOURを機に、3人は「D-PARTY」(ファミリーの意)と呼ばれ、世界各地でマイケルに会えるようになる。追悼式から3年を経て当時のエピソードを公開。

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