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リアル・マイケルジャクソン [Vol.13]_1996年HISTORYツアーinソウル_深まる交流、そして新たな目標へ。 ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話~

インフォシーク / 2012年11月22日 17時30分

ハードな追っかけの余波で消えかけている直筆サイン(写真は1996ソウル)

ソウル2日目にマイケルとの再会を果たしたわたしたちは、周囲を取り巻く「空気」が徐々に変わっていくのを感じていた。

マイケル側の対応をみていた韓国側の警備員や関係者が、わたしたちに興味を持ち、次々に話しかけてくるようになったのだ。

名前は。どこから来たのか。いつから追いかけているのか。普段は何をしているのか。マイケルのどこが好きなのかetc…。

わたしたちは、一生懸命質問に答え、マイケルへの想いを語った。気がつけば、現地の主要な関係者のほとんどと親しく言葉を交わすようになっていた。

人間とは不思議なもので、相手の人となりがわかると、邪険にしたり意地悪(?)をしづらくなるものだ。彼らと顔見知りになったことで、その後のソウル滞在中、わたしたちは格段に追っかけがしやすくなった。

マイケルのそばに行っても、必要以上にガードしたり、追い払われることがなくなったのだ。

6日間のソウル滞在中、2度のコンサートやプライベートで頻繁に出かけたマイケルと、わたしたちは連日のように握手をしたり、言葉を交わすことができた。なにしろソウルでは、外出のたびにマイケルは、揉みくちゃになりながら一般のロビーを歩いてくれるのだ。

「マイコー!」

次第にマイケルはこちらの声を聞き分け、人混みの合間から手を差し伸べてくれるようになった。長い会話が難しい状況のため、伝えたいことを手紙に書くと、ほぼ確実に手渡しができた。そのときは受け取ってもらえるだけで満足だったのに、その後、複数のマイケル側のスタッフから、「マイケルは君たちが渡したものは全て目を通している。君たちに興味をもっているよ」と教えてもらったのだ。
(なぜわたしたちに興味を持ち始めたのかは、次に訪れる台湾で知ることになる)

韓国側の関係者は、その後もなにかとわたしたちを気遣ってくれ、外出予定を教えてくれたり、マイケル一行が貸し切った閉園後の「ロッテワールド」に特別に入れてくれたりもした。

バイキングやローラーコースターなどのアトラクションを楽しむマイケルを、わたしたちは、目の前の特等席で見守ることができたのだ。
「アイラブユーマイコー!!」
「マイコー!ローラーコースターはどうだったー?」
と大声で呼びかけると、そのたびにマイケルは、笑顔でピースしたり、大きく手を振って応えてくれた。

肝心のコンサートについても、少し触れておこうと思う。

わたしたちにとって、ソウル公演は、待ちに待った「HISTORYツアー」の初ステージだった。

期待と興奮でクラクラしながらオリンピックスタジアムに到着したわたしたちは、衝撃で愕然となった。

広い広いアリーナ席には椅子が置いてあり、わたしたちは座ったままでマイケルのコンサートをみることになったのだ。興奮して思わず立ち上がると、怒声とともに後ろからポスターでポカポカ殴られ、日本からきたわたしたちは完全に浮いていた。

おまけに、コンサート2日目の「EarthSong」のステージで、あろうことかマイケルが乗ったクレーンに地元の男子が駆け上がり、驚くマイケルにむかって歓喜の表情で飛びついたのだ!

一人用のクレーンに大人が2人。一歩間違えば大事故につながりかねない状況の中、その場を救ったのは、ただただマイケルの機転とプロ意識だった。男子が落ちたり暴れたりしないよう、がっしりと両手で抱きかかえ、まるで「演出」の一部のように、見事にその場を乗り切ったのだ。

わたしたちは、怒りと心配のあまり号泣してしまい、その後のステージは全く集中できなかった。

そんなこんなで、ソウルでのコンサートに関しては、あまりよい想い出がない。

2回とも、マイケルがステージから消えた瞬間ダッシュでホテルに戻り、マイケルの帰りをロビーで待った。

ステージ乱入事件があった日は、戻ってきたマイケルに「大丈夫だった?」「怪我はない?」と声をかけると、「大丈夫だよー」としっかりした声で答えて握手してくれた。(そのあと元気にロッテワールドで遊んでいた)

ソウルで、日々マイケルとの交流を重ねるうちに、わたしたちの中である想いが湧き上がってきた。

これまでの追っかけでは、握手やサインといった、ファンとしての一方的な要求を満たすことで精一杯だった。

でも、それらの夢が叶い、バンの中にも入ったいま、必然的に新しい目標が生まれていた。

「マイケルと、もっと普通に会話がしたい」「自分たちのことを覚えてもらいたい」

そんな、「人と人」としてのコミュニケーションや心のつながりを求めるようになったのだ。

言葉の壁。国境の壁。人種の壁。一般人とスターの壁。マイケルとわたしたちの間に立ちはだかっているようにみえる、無数の壁。

でも、本当にそうだろうか?その壁は、わたしたちには超えることができないほど高いのだろうか?

その答えを求めて、わたしたちは次の追っかけの都市、「台北」へと飛び立った。

【バックナンバー】リアル・マイケルジャクソン ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話
[Vol.12]_1996年HISTORYツアーinソウル_チルドレンズパークでの再会。
[Vol.11]_1996年HISTORYツアーinソウル_マイケルのバンに入る!
[Vol.10]_1996年HISTORYツアーinソウル_セキュリティとの再会!
[Vol.9]_1996年、運命のHISTORYツアー序章編。
[Vol.8]_1995年、一夜限りのイベントのためニューヨークへ飛ぶ。

パリス川口
コピーライター。87年来日時にマイケルのファンとなり、OL時代、同じくOLの友人とともに世界中を追いかける。96年HISTORY TOURを機に、3人は「D-PARTY」(ファミリーの意)と呼ばれ、世界各地でマイケルに会えるようになる。追悼式から3年を経て当時のエピソードを公開。

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