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リアル・マイケルジャクソン [Vol.14]_1996年HISTORYツアーin台北_マイケルへのビデオレター。 ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話~

インフォシーク / 2012年11月29日 17時30分

タワーレコードで買い物中のマイケル。手前がパーソナルビデオクルー。

ソウルを飛び立ったマイケルは、1996年10月14日、専用機で台北へと到着した。台湾でのコンサートは、1993年の「DANGEROUSツアー」に続く2度目。そして今回は、台北と高雄(カオシュン)の2カ所で、計3回のコンサートが予定されていた。

マイケルを追ってソウルから台北に直行したわたしたちは、滞在先である「リージェントホテル」にチェックインし、 さっそくロビー散策へと繰り出した。

ツアー中のロビーは、わたしたちにとって、マイケルの関係者や地元のプロモーター、記者などから、さまざまな情報を入手できる貴重な場所なのだ。

ここ台湾は親日家が多いのか、現地の関係者が、もろ手を挙げてわたしたちを歓迎してくれた。

「わたしたちに出来ることがあれば、なんでも言ってください」

プロモーターの代表をはじめ、主要な関係者がそう話しかけてくれたのだ。

台北でのコンサート初日は、機材のトラブルに見舞われて延期となってしまい、到着からコンサートまで、ポッカリと3日ほど日にちがあいてしまった。

そのせいか、どこかのんびりムードの中、マイケルは連日おもちゃ屋や電気屋などに出かけていた。

わたしたちは、ロビー活動(?)の結果、コロコロ変わる外出予定をなんとか掴み、臭豆腐の異臭に耐えながらとなりの電気屋に訪れたマイケルをキャッチしたり、タワーレコードで買い物をするマイケルを2度にわたって見守ることができた。

台北では不思議なほど「運」が味方をしてくれ、途中でマイケルのバンを見失っても、直感でタクシーを走らせると、その先に必ずマイケル一行を発見できた。

ほぼパーフェクトに追いかけた先々で、わたしたちはバンの窓越しにマイケルと言葉を交わしたのだ。

「マイコー、愛してます!」(わたしたち)
「アイシテマス」(マイケル)

「アイラブユー、マイコー!」(わたしたち)
「アイラブユーモア」(マイケル)

「アイラブユーモアモア!!」(わたしたち)
「笑」(マイケル)

冗談のような応酬だが、当時のわたしたちは、バンの窓をあけて、わたしたちの語りかけにマンツーマンで答えてくれるマイケルに、ほとんど舞い上がっていたのだ。 いつからファンだとか、いままで行った都市とか、この先のワールド追っかけの予定とか、そのとき思いつく限りのことをマイケルに話しかけた。マイケルは、一生懸命こちらの話を聞いてくれ、ほとんど窓に耳がくっつくほど近づけながら、うなずいたり、優しい声であいづちをうってくれた。

そんなマイケルとわたしたちの「窓越し」のやりとりを、バンに同乗しているビデオクルーが、毎回ルーフから身を乗り出して撮影していた。

わたしたちにとって、そのビデオクルーは、何となくとっつきにくい印象だった。

いつもマイケルのそばにいる彼は、追っかけファンに対する視線がどこか冷たい気がしたのだ。現に、ソウル滞在中はほとんど話したことがなかった。

ところが、台北の追っかけの最中に、突然ルーフの上から彼が話しかけてきたのである。

それは、タワーレコードで買い物中のマイケルを、停車中のバンの前で待っているときだった。

「君たちはすごいね。どうして全部の外出先についてこれるの?」

ビデオカメラを抱えたまま、感心した表情でこちらを見る彼に、わたしたちは説明した。最初の外出先は、台湾の関係者から予定を教えてもらった。でも、そのあとからは直感。いままでも、ずっと、そうやってマイケルを追いかけてきたから。

すると彼は、カメラを下ろしてわたしたちに自己紹介をしてくれた。

「僕は、マイケルに直接雇われているパーソナルビデオクルーで、マイケルの目線で、マイケルが撮るように指示したプライベート映像を撮っているんだよ。」
「本当?」「すごい!」

彼はニッコリ笑った。初めてみた笑顔は、あのとっつきにくい印象が嘘のように、親しみやすくあたたかいものだった。彼は、自分の名前を「ハミード」と名乗った。

「君たちのマイケルを追いかける気持ちに金メダルをあげたい!」と彼はいい、マイケルにみせるからと、バンの上からわたしたちの写真を撮ってくれた。

そして、この写真撮影がキッカケで、新たなマイケルとの交流がはじまったのだ。

翌日の夜、ビデオカメラを抱えたハミードに、わたしたちはロビーで声をかけられた。

「マイケルから、君たちの映像を撮るように言われたんだよ。」

Let's Go!と撮影場所に誘導されながら、わたしたちは驚いてハミードに話を聞いた。

どうやらマイケルは、わたしたちがソウルで渡した「自己紹介ビデオ」を部屋でみていたらしく、それ以来、日本の追っかけOLに興味をもってくれたようなのだ。
(キャプテンEOの前でスリラーの振り真似をしたり、いま思えば恥ずかしい内容満載だった)

昨日撮った写真も、マイケルは喜んでみていた、というのだ。

「いまからカメラにむかってマイケルへのメッセージを話して!」

そう言って、おもむろにビデオカメラを回し始めるハミード。

マイケルへの「ビデオレター」は、その日から毎晩の恒例行事となった。

わたしたちは次第に小ワザを覚え、タレ幕やぬいぐるみなどの小道具も用意した。
(マイケルは、この映像を、どんな風に見てくれているんだろう・・・?)

そして、プライベートでマイケルとの交流を深めていたわたしたちは、来たる10月18日のコンサートでも、大きな夢を達成してしまうのだ。

【バックナンバー】リアル・マイケルジャクソン ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話
[Vol.13]_1996年HISTORYツアーinソウル_深まる交流、そして新たな目標へ。
[Vol.12]_1996年HISTORYツアーinソウル_チルドレンズパークでの再会。
[Vol.11]_1996年HISTORYツアーinソウル_マイケルのバンに入る!
[Vol.10]_1996年HISTORYツアーinソウル_セキュリティとの再会!
[Vol.9]_1996年、運命のHISTORYツアー序章編。

パリス川口
コピーライター。87年来日時にマイケルのファンとなり、OL時代、同じくOLの友人とともに世界中を追いかける。96年HISTORY TOURを機に、3人は「D-PARTY」(ファミリーの意)と呼ばれ、世界各地でマイケルに会えるようになる。追悼式から3年を経て当時のエピソードを公開。

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