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リアル・マイケルジャクソン [Vol.38]_1997年inブレーメン_半年ぶりの再会! ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話~

インフォシーク / 2013年5月23日 17時30分

ブレーメンでの写真。右上2枚目は、こちらに気づいてピースを送ってくれたときのマイケル。

5月28日、マイケルはブレーメンの「パーク・ホテル」に到着した。

青々とした緑に囲まれた白い宮殿のようなホテルには、ヨーロピアンを中心に大勢のファンが集まり、色とりどりのタレ幕やメッセージボードを掲げて熱狂的にマイケルを出迎えた。

わたしたちにとっては、約半年ぶりのワールド追っかけの再開だ!

久々に会うマイケルは、どんな表情だろう?この半年で、プライベートに大きな「変化」が訪れたマイケル。ファンに対する想いや心境にも、何かしら変わった部分はあるのだろうか?

ファンやメディアが固唾を飲んで見守る中、空港からホテルに到着したマイケルは、バンから降り立ち周囲の大歓声に応えた。

ああ、本物のマイケルだー!!(大泣)

スラリとした立ち姿も、ボディガードに囲まれて歩く様子も、福岡で別れたときのマイケルの記憶そのままだ!いや、それより数段カッコイイ!(泣)初めてヨーロッパでみるマイケルは、全身からスターのオーラが溢れている!

そのとき、ヨーロピアンの大歓声に混じり、「マイコー!」といういつもの聞き慣れた呼びかけに気づいたマイケルは、パッとこちらを向くと、子どものような満面の笑みで真っすぐピースサインを送ってくれた!

(マイケル、気づいてくれた!!)

隣にいたドイツ人の男の子が、マイケルの反応に驚いて話しかけてくる。

「どうしてマイケルは君たちのことを知ってるの!?」

去年の出来事をかいつまんで話すと、彼は心底驚いた様子で、それ以来、「君たちといるとマイケルが見てくれるから!」と、いつも隣にスタンバイするようになった。(彼とはその後、各国の追っかけ現場で顔を合わせるようになる)

初日のマイケルの反応で、わたしたちは、ヨーロッパツアーでの目標をはやくも達成したような心境になっていた。気分的に「ややアウェイ」のヨーロッパでは、自分たちの存在にマイケルが気づいてくれたら、それで充分成功なのだ!

ブレーメンでは、同じホテルに宿泊する「特権」はほとんどなく(ロビーにいることができない)、ひさびさにわたしたちは、外のファンエリアで一日中立ち尽くしたり、バンの後ろを「走って」追いかけるというサバイバルな毎日を過ごすことになった。しかし、これが思った以上に楽しいではないか!叩き上げの?追っかけファンであるわたしたちは、結局のところ、アドレナリン全開で走り回るのが大好きなのだ。

到着の翌日から、ブレーメンの市庁舎に出かけるマイケルを張り切って追いかけたり、ホテルの窓から手を振るマイケルに大声援を送ったり、バンを追ってリハーサル会場に駆けつけたりした。

そして、スタジアムの外でリハーサルが終わるのを長時間待っていたわたしたちは、ヨーロッパツアーのスポンサーである「MYSTERY DRINK」の社長に声をかけられた。

「どこから来たんですか?」

日本からです、といつものように自己紹介をすると、おもむろに彼は一眼レフのカメラを構え、「MYSTERYマガジン(マイケルのファン雑誌)にのせるから!」と、宣伝トレーラーをバックにわたしたちの写真を撮った。そして、ヨーロッパで絶賛発売中のMYSTERYドリンクを一缶ずつプレゼントしてくれた。(そのドイツ人社長ディーターとは、翌年、思いもかけず日本で再会するのだ!)

その後、顔見知りのケータリングスタッフがわたしたちとの再会を喜んでくれ、「中にいらっしゃい!」と、特別にバックステージの設営テントに入れてくれた。

長テーブルにはさまざまな種類の軽食がずらりと並び、寒さに震えていたわたしたちは、温かいスープや香辛料がきいたサモサをありがたくご馳走になった。(さすがマイケルのツアースタッフ、びっくりするほど本格的で美味しかった!)

そして、記念すべきヨーロッパツアーの初日、わたしたちは、ウェインにもらったチケットで無事コンサートを観ることができた!日本の倍はあろうかという巨大なスタジアムと、それを埋め尽くす何万人もの熱気!桁違いのスケールに圧倒され、全身に鳥肌がたつ。これぞヨーロッパ!この大観衆が見つめる前で、マイケルは、世界最高のショウをみせてくれるのだ!

この日のステージで特筆すべきは、新曲「Blood On The Dance Floor」のパフォーマンスだった。

マイケルは赤い衣装で登場し、ショートフィルムを再現しながら完璧に歌い踊ったのだ!初めてみるパフォーマンスに、わたしたちは興奮のあまり号泣し、会場全体が湧きに湧いた!

このステージを観れただけでも、はるばるブレーメンに来た甲斐があったと思えた。(その後は青い衣装に変わり、パフォーマンスも徐々に変化していった)

コンサートが終わったあとは、ホテルのエントランスに大急ぎで先回りし、数人のヨーロピアンファンとともに戻ってきたマイケルを出迎えた。マイケルはわたしたちに気づき、大きく手を振ってホテルの中へと消えていった。

ヨーロッパの「空気感」を徐々につかみつつ、わたしたちは、ブレーメンから次の都市、ケルンへと向かった。

【バックナンバー】リアル・マイケルジャクソン ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話

パリス川口
コピーライター。87年来日時にマイケルのファンとなり、OL時代、同じくOLの友人とともに世界中を追いかける。96年HISTORY TOURを機に、3人は「D-PARTY」(ファミリーの意)と呼ばれ、世界各地でマイケルに会えるようになる。追悼式から3年を経て当時のエピソードを公開。

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