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東京で席を譲ると断られる ~1分でわかる大阪人の言い分~

インフォシーク / 2013年10月16日 17時30分

大阪・鶴橋

「ちょっとすんませーん!」

「山田さん!山田さんて!!早(は)よコッチ来てー!」

そんな絶叫やドドドドと荒い足音が響く場所が大阪にある。その場所とは、乗車時の電車内だ。

「整列乗車にご協力をお願いいたします」

いい子チャンな触れ込みなぞ知ったことかと乗客、主にオバハンたちは不揃いな塊となってホームに広がり、到着する電車を待ち構えている。

扉が開く。それは、イス取りゲームのスタートを意味する。出走ゲートが開いた競走馬のように自分の座席、友人分の座席確保のため、一目散に全力ダッシュする群れは大阪名物だ。

乗車前、ある程度の列が出来てはいる。だが電車をイスとしか思っていない、わずか数駅でも座る方が電車賃払った意味はあるとでも思っているオバハンたちは、後ろに並んでいようがお構いなし。

「ちょっとすんませーん!」の大声と共に手刀で前の人々をずばと斬りまくり、縮んだ背丈でするりと集団を抜け先頭を目指していく。

私はこのようなシーンを目にするたび、ダカダン、ダカダン、ダカダンダンダンと運動会の徒競走で流れる定番曲、ロッシーニ『オペラ「ウィリアム・テル」のための序曲』が頭の中で再生される。

大阪の悪しきマナーだ。

我先にと順番を抜かし進んでいく人たち、肩ぶつかっても謝らない人たちの情けなさったらない。

オバハンは元々図太い。だから怒ってはいけない。そう思うようにして大阪で生きてきた。

そして上京。東京のご年配は席を奪い合おうとしない。つまり大阪の真逆。カルチャーショックだった。

大阪の行動が全国共通なわけがないのは解っていたが、毎日が運動会な電車内ばかり見てきたせいか座席を奪い合うなどあり得ない、席が空いていれば座るという当たり前の行動に驚き、電車の座席に関して「大阪は異常だ」と気付いたのは早かった。

だが電車内における文化の違いで今でもわからないことがある。それは、東京のご年配は座席を譲っても断られることが多いということだ。

大阪の電車で私が座っていると、顔に「座らせろ」と書いたオバハンが前に立ってくる。その主張の濃さがいいかどうかといえばダメだが、わかりやすいっちゃわかりやすい。どうぞと譲ると、下手な芝居で驚いたフリをし「ええのにー。えらいすんませーん」と、すっと座られる。しかし東京では同じようなシチュエーションになっても断る人が多い。

先日も銀座線でそのようなシーンをみた。若い女性がお婆さんに譲ろうとしていたらしい。若「どうそ」老「いえいえ、すぐ降りますから」若「すぐ降りるので」老「私も2駅ですし」若「私も2駅ですし」となんの張り合いやねんとツッコミたくなる禅問答。大阪では考えられないが、このような光景は珍しくない。東京では目の前に立たれたからといって、決して座りたいわけではないのだ。

だが、だからといってご年配に対して譲る文化がないと決めつけるのは間違いらしい。

以前、着席していた私の前に爺さんが立ったことがあった。譲ろうとしてもしょっちゅう断られていた私は、あと数駅、天久聖一の新刊でも読もうと座り続けることにした。結構屈強な爺さんだったからというのも譲らなかった理由だった。そして目的の駅に着き立ち上がると、耳元で力強い舌打ちを受けた。東京のご年配は座りたいのか座りたくないのか見分けが本当につかない。

この疑問を克服すべくどのように振る舞えばいいかを考えてみた。誰彼構わず目の前にご年配が居たら相手の肩を掴む勢いで強引に座らせる。そんなことをしたら、過剰なお節介をしがちな大阪人のナルシズムでしかない。

却下。その他色々と考えてみたが、とにかくもう座らない。これしか浮かばない。

そしてよくよく車内を見渡すと、空いていても座ろうとしない東京人がそこらじゅうで立っていることに気が付いた。

鹿タカシ
しかたかし ライター。大阪生まれ。大阪芸術大学にて写真を学んだ後に上京しなぜかコピーライターとなって約10年。
現在は都内広告プロダクションに勤務しながら、大阪人からみた東京人(主に上京してきた人)について研究。

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